待ったなしの流れに、私達は押し出されている

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エネルギーの流れのようなものが、これまでとは違うように感じます。

今までと同じように動いても、現実が以前とは同じようには反応しないというか・・。

「人事を尽して天命を待つ」と言いますが、これまでは意図と結果が、ある意味とてもわかりやすく繋がっていくのを体験することが多かったのに、このところは以前とは全く違う感覚で現実が流れていきます。

「再調整」という感じのキーワードが降りてきます。

全てのものがふるいにかけられ、これからのエネルギーに合っていくものしか動いていかないのかなと感じます。

今までOKだった人間関係においても、何故OKだったのかわからないような出来事が起きたり、自分がハートの奥から望んでいることしかやることができない自分を感じたりします。

そして、たとえ今現実がうまく流れていかないように思っても、あくまで自分の感じることを、エゴのフィルターを通さずに感じ取り、それを実行していくことが大切な時のようです。

7月下旬から8月一杯にかけて、それが多くの人に起こっていくことでしょう。

これから先自分がどう生きていくか、この世に生まれ落ちた自分の目的は何なのかを知り、魂の望みを生きていくことを自分に許可する・・そういうことから目を背けていくことはできなくなっていくように思います。

見えていたようで、実は見えていなかったこと。

本当は見えているのに、知ることが怖いので、自分が見たいように見てしまってきたこと。

それらに気付くことは、自分の決意次第です。


答えはいつも自分の中にあります。

怖れているのは、自分の今の世界が変わってしまうことです。

しかし、その「今の世界」は、本当にあなたにふさわしいものなのでしょうか?

あなたの魂が満たされ、今ここに生きていることが喜びに満ち溢れている世界なのでしょうか?


DV被害にあっている人や、虐待にあっている子供は、どんなにその環境が苦しいものであっても、その現実を変えることに抵抗することが多いと聞きます。

確実に今より幸せな未来があるだろうことが想像できても、今ここの現実から変化することに怖れを感じ、自分を害する相手から離れることを拒否するというのです。

傍から見ると、なんと不思議なことだろうと思うかもしれませんが、それと同じようなことを、多くの人がやっています。


もし、一か月後にこの世を去ることがわかったとしたら、今やっていることを同じように毎日やって、残りの一ヶ月を過ごしますか?

それにYes!と答えられるなら、あなたは魂の望み、計画を生きていると言えるでしょう。

そんなの絶対にNo!だと思った方は、なぜそこに居続けるのでしょう?

それは、DV、虐待被害から逃げ出さない人達と同じ事なのです。


人は、自分の思う通りに人生を生きることができるのです。

苦しい場所に居続けるのは、それを選択している自分がそこにいるからです。

それは同時に、選択を変えさえすれば、別の人生を生きることもできるということでしかないのです。



地球の大きな変容が起き続けています。

地球の一部である私達人間は、それと無関係でいることはできません。

何年もかけて、少しずつ変わっていこう・・というような猶予は多分もうありません。

ハートの声に耳を傾けて下さい。

あなたの深いところから聞こえてくる言葉を受け取って下さい。



道は、あなたが足を下した場所からできていきます。




7月23日(日)、26日(水)にセミナーを開催します。
詳しくは以下よりどうぞ↓


「1dayセミナー」開催のお知らせ♪



子供は育つようにしか育たない・・と思う(笑)

一昨日から、他県に住んでいる長女が、1歳の孫娘と一緒に里帰りしています。

じぃじとばぁばは、いそいそとト〇ザラスでプールを買って、数日前から膨らませて、準備万端でした(笑)

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孫娘は、長女の小さい時と様子がとても良く似ています。

自己主張が強くて、食いしん坊で、音楽と踊りが好きで、赤ちゃんの時はあまり寝なかったし、大声で夜泣きをするので大変でした。

長女が子育てに奮闘している様を見ていて、よく自分も3人の子育てをしてきたものだと、今さらながらに感心します。


私は、子どものエネルギーの美しさには魅了されるのですが、決して子育てが好きなタイプではありませんでした。

自分一人の時間がある程度確保されないと、煮詰まってしまって苦しいタイプでした。

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          (長女が大好きだった「ノンタン」より)

同じ絵本を繰り返し読むのが苦痛で、こんな子供の本ではなくて自分の本が読みたい!と、いつも思いながら、「一生懸命がんばって」絵本を読んでいました。(私の読みたい絵本と、長女が読みたい絵本も違うのです・・涙)

そしてそのように思う自分を「ダメだ」と思い、可愛い盛りの子供達との毎日は幸せに溢れかえっていたはずなのに、今思い出すのは、辛かった自分の気持ちの方がずっと多いのです。


なので、今ばぁばという立場になって、このポジションが私にはとても合っているのを感じています。

「孫は来るもよし、行くもよし」と言うそうですが、まさにその心境です。

ずーっと一緒にいるのは正直しんどいですが、期間限定の触れ合いなら、昔なら腹が立ったようなことにも一切心は波立たず、孫が泣いてもわめいても穏やかなままで、理想の養育者の立場に居続けられます。

ただただ、子供の魂の美しさに触れて癒され、生きる力のたくましさに感動します。

何がそんなに違うのだろう?と考えてみると、やはり一番大きいのは、子育ての責任の全てを自分が請け負うのではないということと、3人を育て上げて、子育てに関して色々な事が見えてきたからなのだと思います。

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自分が子育てをしている時は、子供をどう育てようかといつも考えていたような気がします。

何を食べさせようか、何を与えようか、どのように教育したら良いか、何を体験させたら良いのか・・と、色々な情報も気になるし、自分がどう育てるかへの責任も強く感じていました。

もちろん、ある程度のことは、与える環境や信念体系に子供は左右されていくかもしれませんが、ここまで来て今感じるのは、子供は育つようにしか育だたないということです。

彼らが持って生まれた魂の資質が、どのように開花するか・・ただそれだけのような気がするのです。


長女は昔、幼稚園の年少の時に担任の先生から、「この子は精神的に問題がある子かもしれません。仲良しはNちゃんたった一人で、夏休みはNちゃんが里帰りして長期お休みだったので、ずっと誰とも話さず、毎日玄関でNちゃんが来るのを待っていました。お昼ごはんもあまり食べず、私達は腫物に触れるように扱っていたのです。」と言われたことがありました。

長女は当時、典型的な内弁慶で、外では神経質で人見知りでした。ある意味、大人の事もよく見抜いているというタイプだったので、警戒心も強かったのかもしれません。

その時通っていた幼稚園は、田舎に唯一あった「幼稚園」で、園の教育方針というのが、色々なことが「できるようになる」ことに力を入れていたようなところがありました。

その後転勤で引っ越してから行った別の幼稚園と比べると、子供個々の心の中を見るというより、とても表面的な「できる・できない」にフォーカスしていたのだなとわかります。

その時は、まだ新米ママだった私は、先生の言葉に自信喪失して、長女のことをとても心配したのですが、東京に住んでいた幼稚園教諭の親友から「その歳の子供は、一人でも仲良しのお友達がいるなら、全然心配することはないよ!」と言ってもらい、泣きそうなくらいほっとしたのを覚えています。


そして、その時「おかしい」と言われた人見知りだった長女は、今では見知らぬ土地でもどんどんママ友達を作り、毎日子供と楽しそうに暮らしています。あの時の心配は一体なんだったのだろう?と不思議なくらいです。

また彼女は、私ががんばってたくさん読み聞かせをした甲斐もなく(笑)、本を読むのは嫌いでもっぱら見るのはテレビばかりです。あれやこれやと教育の事を考え施したことは、彼女の今の根本的な生き方には、あまり影響を与えてはいないようです(笑)

同じように思っている人は多いようで、先日友人がFBにシェアしていた新聞投稿にも、良く似たことが書かれていました。


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しかし私は、「努力は実を結ばない」というより、子供はその元の種子のようなものが育っていくだけなのだと感じています。

ひまわりの種からはひまわりの花しか咲かなくて、どんなに薔薇がいいなと思っても、薔薇を育てるように種を育てては、すくすくと立派にひまわりは育たないだろうということです。


親の思う通りに子供を育てようと言う気が全くない・・というのが、多分今の私の祖母という立場でのデフォルト状態なのだと思います。

それは、長い子育ての間に、「あるがままの子供」を受け入れざるを得ない体験を積み重ね、そこから自分自身の「あるがまま」も受け入れられるようになったことでもあると言えるでしょう。

随分長い時間がかかりましたが、ようやく達したこの境地は、自分も相手も縛らず、ただただ幸せを味わえるありがたい心の在り方です。

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私の子育ての時より、ずっと子供と一緒の毎日を楽しみ、イラつくことの少ない長女を見ていると、本当にすごいなと感心します。

長女のお友達を見ていても、子育てを楽しんでいるのは、そのままの自分をしっかりと受け入れているママさん達のように思います。

平成生まれの子供達が親になる時代がやってきて、世の中はどんどん変わっているのを益々感じるこの頃です。



子供は育つようにしか育たない。

そして私達自身も、育つようにしか育たなかった結果としての自分なのだと知ることで、肩の力を抜いて、あるがままの自分を愛して毎日を生きればよいのではと思う「ばぁば」でした。





心屋さんの「前者・後者」論


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ファンの方には今さらかもしれませんが、昨日、心屋仁之助さんの「前者・後者論」について書いてあるのを目にして、なんとうまく表現されているのだろう!と、心から感動しました。

私は、この数年、人間の思考パターンや理解度の差違においてなかなか越えるのが難しいと感じてきた壁の存在を、ここしばらくは「発達障がい」という括りで光を当てることで理解しようとしてきました。

しかし心屋さんは、「前者・後者」という独自のネーミングで、見事にその差違を表されたようです。

 ・前者・・・

空気が読め、理解、理論、表現、処理能力が比較的高い マルチタイプ

  ・後者・・・

天然、癒し系、言葉をストレートに受ける 集中タイプ

自分が前者か後者かを判断する基準は1つだけ

 
 ●人の話を聞いてて、頭がシャットダウン(真っ白)になるか?


・怒られたり失敗したり、あせったときにすぐにパニック(混乱)になる
・難しい話や、まくしたてられると心の中にシャッターが下りて「しまう」
・思考がすぐにどこかに飛んで行って「しまう」

・説明を受けたり怒られている最中に、うわの空で他のことを考えて「しまう」

 

この質問の例にひとつでも「イエス」があれば、後者。

NO! ならば前者、という判断です。

 

(「心屋仁之助オフィシャルブログ」より)

※詳しくは、以下のリンクにまとめて色々書かれています↓

【永久保存版・全体概要】前者・後者は世界を救う?! 前者後者ってなんだ?


 
更に心屋さんは、『
現代の病気としてされているADHDや、LD,ADなどの学習障害系のモノも、実はただの「後者の特徴」であって、ただ「前者から見て自分たちと違う」ために「違和」として「病気」として扱われているのではないかと考えています。』と書いています。

これはまさしく、私が感じていた事と同じで、日常生活に不自由があるほどの差違がある場合は「障害」というカテゴリーを作るのもありかと思いますが、発達障害をめぐる困難や問題の数々は、単にこれまでメジャーだった「前者」よりも「後者」が増えてきた世の中の混乱なのではと、私は思うのです。

ただ、「後者」の特徴は、私が感じるには「グレーゾーンのアスペルガー」が一番近いという感じです。

そして、グレーゾーンのアスペルガーの方達が、これまでの訓練によって「前者」になりたがって、それがある程度はうまくいっても、根本的には自分が苦しいと言う、そういう問題がとても多いのではと思うのです。

私自身は、心屋さんと同じく「前者」だと感じます。彼の伝えていることは、おこがましいですが、いつも自分がお伝えしていることと酷似しています。

なぜわかってくれないのだろう!という、時には腹立だしささえ感じるようなもどかしさを感じる相手は、ほぼ「後者」の方達です。

そして、本質は「後者」なのに、「前者」に憧れて、そう生きることを自分にも課して来た方達の苦しみに、いつも寄り添っているような感じがします。

そして、奇しくも心屋さんも書かれているように、自分の在り方を全肯定することで、この世を生きるのを楽に楽しくすることから始まり、自分にないものは誰かの手を借り、自分にあるものを他と共有していくことで、すべての人達が幸せに共存して行く世界が広がることを、私は願っているのだということを、改めて感じることができました。

心屋さん、本当に素晴らしいです! 
このツールが、人々が楽になるために更に広がることを願っています。


要は、前者・後者をはっきりさせるのが「目的」ではなく、「自分を責める」「今の自分はダメだ」と責めるのをやめようというのが目的です。自分が前者か後者がわからない人でも

 「今の自分で、この自分でいいんだ、他の誰かになろうとしなくて、そのために頑張らなくていいんだ。できるものだけをやって、できないものは人に頼ればいいんだ」

 と、自分を全肯定するための、前者後者という「ツール」なのです。

(「心屋仁之助オフィシャルブログ【永久保存版・全体概要】前者・後者は世界を救う?! 前者後者ってなんだ?」より)

思い出す時がやってきている

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生きていて一番やっかいな感情は、自己否定感ではないかなと私は思っています。

誰かに嫉妬するというのも、その奥には自己否定感があります。

自分以外の人と競う気持ちも、それに勝つことで自己否定感を拭い去りたいという気持ちからきています。

「自己否定」の反対は「自己肯定」ですが、それを得るためには、「何かで成功する」、「何かで認められる」、「何者かである」ことを求めてしまいます。

しかしそうすることは、それが成し遂げられなかった時には、更なる自己否定感を持つことへと導かれます。



二元性の世界には、プラスの要素があれば、必ずマイナスの要素が存在します。どちらか片方のみ得るということはできません。

とてつもなく幸福な感情を味わうためには、とてつもなく不幸せな感情もまたどこかで味合わなければならない訳です。

私達が生きているこの3次元の世界では、光には必ず影が生じます。何故ならこの世は、その二つのコントラストを味わうために創られている世界だからです。


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では、自己否定感を手放すにはどうすればよいのでしょうか。

自己否定しないために、自己肯定できることを目指していては、ずっといたちごっこです。

自己否定している自分を、「ああ、私は自分を否定している感情の中にいるのだな」と、ただ観察すればよいのです。

観察者の中には、肯定も否定もありません。

その意識の状態は、3次元の光と影の法則を越えています。

あるがままの自分を受け入れるというのは、そういうことなのです。



自己否定している自分を観察していれば、やがてその否定の感情は消えていきます。

「そんなに簡単にはいかないよ!」、「だって私は自分がダメだという気持ちから逃れられない!」と言う人がいるかもしれません。

それもただ、「自分がダメだ」という感情を味わいたくて、自分が望んでそれを握りしめているのです。

そのことに気づけばよいのです。それを観察すればよいのです。

真理はとてもシンプルです。全ては自分次第です。


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とはいえ、私達は「この世を味わう人間の振りをするゲーム」をしに来たスピリットです。

ゲームが楽しいならば、いくらでも楽しんでいればよいのです。

でも、もうゲームをするのは終わりにしたい、人間の姿をしていてもスピリットなる自分に戻りたい、と感じている人もいるかもしれません。

今、どんな人にもそれができる波動へと、地球がシフトしています。

私達は、ただ決めるだけでよいのです。


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決めた人達が、次々と出会い始めています。

「思い出す」という作業を、共に始めているのです。

思い出すきっかけは、望めばすぐにやってきます。

すべては自分が創っている世界に、私達は住んでいるのです。


















シャスタ・リトリートを終えて♪

一週間のシャスタリトリートについて、一気に記憶を辿りながら書き上げました。
(読んで下さった皆様、ありがとうございました♪)

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実はリトリート参加者にはFB上でのグループ・フォーラムがあり、そこで自由にやり取りをしているのですが、まだ帰国して10日余りなのに、一様に皆が「随分昔のことのような気がします」と言うのです。

それほど、リトリート中は、日本にいるのとは全く違う自分達がいたということなのです。帰ってきてからの生活や、周囲のエネルギーの状態とのギャップで、シャスタのことが遠い昔の事のように感じるのでしょう。

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ブログに詳細に書いているのは、もちろん読んで下さる方達に何かを感じて頂きたいということが大きいのですが、それ以上に、参加者の皆さんに、リトリートでの体験は夢ではなかったとお伝えしたいからでもあります。

なぜなら、リトリートは夢の時間を体験に行くために参加してもらうものではないからです。今現実に手にしている生活と、リトリートでの体験の間に、ギャップのない生き方はできるのだということを知ってもらうために開催しています。

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リトリートの最中は、常に今の瞬間に生き、自分のハートをオープンにして、自然と一体になることで人間という枠を超えたスピリットである自分自身を感じています。

何かをしなくてはならないという縛りから離れ、普段担っている妻や母や子供であるというような役割からも離れ、ただ自分が感じることに集中して時間を過ごします。

考えることを手放して、自分を縛っている観念や信念からも自由になり、ただハートが感じることに行動を導かせるということは、日々の生活の中にどっぷりと浸かっている時には、なかなか体験することは難しいかと思います。

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以前は半年や一年のセミナー・コースを開催していましたが、ご主人やご家族にコースに来ていることを内緒にしている人が多く、それではご自分の枠から出ることはなかなか難しいと感じていました。

海外で行うリトリート・セミナーに参加するというのは、ご家族に内緒で実行することはできません。

まず自分自身に、自分がやりたいと思う事を許可することから始まり、それを家族に共有することへとステップアップし、時間や金銭的なことなどの制約からも自由になる許可を下すというステップへと進まなくてはなりません。

参加を申し込む時点で、それだけのことをクリアにしています。(もしくは、クリアにしようと決意しています。)まだ何もしていなくても、その人にとってとても大きなシフトが起きているのです。

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これまでカウアイ島で3回、セドナで2回、シャスタで1回とリトリート・セミナーを開催してきましたが、この行くまでのステップが、参加者の皆さんにとっては最もハードルが高くて、それゆえに大きな手放しとシフトが起こるのを見てきました。

なので出発してからは、更にその先に進むだけという、ある意味ハードルは随分低くなった状態での体験となるのです。

逆に言うなら、それだけのハードルを越えた人にしかできない体験が待っています。

私はいつも、ご自分の力で扉を開けて参加していらした方達の後ろから、そっと手を添えてサポートをするだけなのです。(いえいえ、そんな優しいだけではありませんでしたが・・という声も聞こえてきそうですが。笑)

必要に応じて、目覚めのための雷を落とすことももちろんあります(笑)でもそれは、本当に必要な時だけです。

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これまでのリトリートでは、その雷を落とすことへの躊躇が正直ありました。せっかくの海外での楽しい体験を壊したくないような思いもありました。

しかし、今回のシャスタリトリートでは、そこが全く以前とは違っていました。私自身の気づきが一番最初に大きく起こったこともあり、本当に必要なことをお伝えする勇気と共に在ることができました。

わかってもらえなかったり、逆恨みされたりという、これまで体験してきたある意味人間的な怖れを越えて、必要だと感じることをそのままお伝えする機会が何度か訪れました。

それらは、言われた人達にはとてもショックな内容だったかと思いますが、それらと真摯に向き合うことで、彼女たちは本当に美しく変容を遂げました。

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シャスタの峻厳で美しく、ただ愛に満ち溢れた波動の中で、そこに自分を置くことを許可した人達は、本当の自分に戻っていきました。

私にとっても感慨深いリトリートでした。すべてが完璧な流れの中に起きていました。

その素晴らしい時空を共有して下さった参加者の皆さんに、心から感謝しています。







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