二女がしばらく船を下りて帰宅しています。次の乗船は1月4日なので、参加できない成人式の代わりに、振袖を着て写真撮影をしてきました。

長女のときも感じたのですが、成人式は多分本人たちよりも、親のためにあるような気がします。

自分が20歳だったときのことを思い返しても、成人になるという感慨はほとんどなく、その頃東京にいた私は帰省費用がもったいないと式にも出ず、会社の先輩が親切に貸してくれた振袖を持って帰宅した折に、大した感動もなく写真撮影だけした記憶があります。

その写真も、へたくそな化粧の自分の顔が気に食わなくて、そのとき以来ずっと見ていません。

ところが、一度しか着ない振袖なんて無駄でしかない!と思っていた私が親になり、決して高いものではありませんが、わざわざ娘それぞれに着物を買う親になりました。(実家の親のヘルプがあってこそでしたが・・)

そうして、娘達が振袖を着た姿が嬉しくて嬉しくて、親ばか丸出しで「可愛い!可愛い!」と連発する自分が、我ながら不思議でならないのです。

成人式は多分子育ての一つの大きな節目であり、彼らが成人したことでこれまでの子供達に対する愛情が一つの大きなギフトボックスに集約されたような感覚になり、晴れ着を着たまぶしいその姿に、今までたくさん愛して慈しんで育てた思いが怒涛のごとく溢れ出してくるように思えるのです。

半日を費やした写真館から帰った夜、思わず子供達が小さかったころのアルバムを開いてみました。その小さくて柔らかそうで愛らしい姿に、またもや頬が緩み、なんともいえない至福感に包まれたのでした。

あの頃は三人の子育てに毎日がいっぱいいっぱいで、今の私ほど子供を愛しいと思っていたかどうかは疑わしいのですが、それでも間違いなく私は毎日毎日幸せだったのだと確信しました。

自分が何のために生まれてきたのかと、これまで何度も自分に問いかけてきましたが、この幸せを味わうためだったと、今の私は答えを外に求めることはありません。

この幸せは、子供達のみならず夫や親兄弟や親戚、そしてこれまで心を分かち合ったたくさんの友人たちとの間にも同じように愛溢れて存在していたのだと、ようやく静かにわかったような気がするのです。


成人式の振袖姿は、この愛の象徴なのですね。

そして、娘がこれからの人生を、私がそうであったのと同じように愛と幸せに溢れて生きていく象徴なのだと思います。

こういう節目を迎えられたことに、本当に感謝しています。


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