私が本格的な反抗期を体験したのは、なんと40代に入ってからだった。

それがほぼ終わるまでに、2~3年はかかったと記憶している。

俗に言うスピリチュアルな学びを始めてから、自分がどれほど母にコントロールされていたのかに、ようやく気が付いたのだった。

そしてそれは、私の人生にどれほど深く影響を与えていたのかを知ってしまったら、振り子が一度反対方向に振り上がるように、大好きだった母を大嫌いになるプロセスがやってきた。

私はいつでも母の理解者で、父から母を守る守護者で、母が大好きでいつも彼女の話を聞く母のお気に入りの娘だった。

その全てが、自分は犠牲者だと主張する母にコントロールされていた故の私の在り方だったと理解したとき、猛烈な怒りが湧いてきた。

それは理性ではどうにもコントロールできるものではなく、私は母につっけんどんになり、電話がかかっても居留守を使い、アポなしで訪問する母には露骨に嫌な顔をした。

母には辛い期間だったと思う。
なぜ私がいきなり感じの悪い娘になったのかは、よくわからなかったと思う。

私が乳飲み子を抱えていた時でも、夜中に母から電話で父が酔って言動がおかしくて怖いから来てほしいと言われたら、飛んで行って母をなぐさめた。

父と理解しあえないこと、そして自分の親から養子に出されたことを、70代になっても恨みに思い続け、「私はひとりぼっちだ。」と自己憐憫で泣く母に、何度も真剣に愛情を伝え続けた。

子供のころから、母を喜ばそうと必死に勉強して、品行方正で優秀であろうと頑張ってきた。

それらの全てが、私の人生を、私自身を一番大切にして生きてこなかったことなのだと知った時、悔しくて悲しくて、ただただ反発するしか、母を嫌いになるしか、為す術がなかった。


そうして遅すぎた反抗期が終わりに近づいた時、母にコントロールされていたのは、それを許可していた自分がいたからだと、やっとのことで体感に理解と納得が訪れた。

私の人生は誰のものでもなく私だけのもので、自分が許可しなければ、誰からもコントロールはされないのだと、ようやく母に優しく接することができる自分が戻ってきた。

今でも相変わらず母は、自己憐憫の世界を生きている。

私の反抗期は終わったけれど、完全に母の大好きだった私に戻ることはもう不可能で、元々の性格が浮上してきて、クールであまり愛想がない娘に生まれ変わった。

懲りない母は、私よりおばあちゃんに優しく接してくれる私の娘たちへと電話をかけてくる。でも決まって、「ママはどうしてる?」と、私の様子を聞くらしい(笑) 娘たちは、「ばあちゃんは、ママが大好きなんだよ。」といつも言う。

いい子をやめて、クールに接するようになっても、私は母に愛されている。

いい子で優秀で思いやりがあるから愛されていたのだと思っていたのは、それが私の信じる世界だったからだ。



私の世界を創るのは私自身。

そのままの私を愛することを自分に許可したとき、私は周りから愛される。

母を反面教師として気づかさせてもらったこと。
母がいたから、このプロセスを辿り、私が今この場所にいること。
自己犠牲を手放すことを体験させてくれた、全ての敵役の人達がいてくれた幸せ。

自分の人生を創っているのは自分なのだと、心の底からその責任を引き受ける時、すべては奇跡のように変わるのだ。

どんな自分であっても、自分が感じることを受け入れてあげること。
最初の一歩はそこから始まるのだと思っている。


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