私の母は来年80歳になるのですが、いまだに夫と別れるかどうかについて悩んでいます。人生ほぼ終わりの瞬間に近づいてきているのに、 人生最大の悩み苦しみは全く解決していないのです。

彼女が三人の子供たちの為に生きてくれた時間は、孫の世話を含めて20年程前に終わってしまいました。

それからの母は、60の手習いで始めた水泳を始め、陶芸、フラダンス、社交ダンス、海外旅行、 そして民生委員など、自分がやりたかった事や他人の役に立つだろう事をやり尽くしました。

そうして今、「人生に生きがいがなくてむなしい。お父さんともう一瞬でも一緒にいるのが嫌だ。」と、私の前で涙ぐむのです。

私は小学校の高学年の時から、母のこの愚痴を聞かされて生きてきました。

「養女として育ててもらった親への恩で、家を継ぐために私はお父さんと結婚するしかなかった。」「あなた達がいたから、離婚できなかった。」と、聞かされ続けてきました。

母のフィルターを通して父を見ていた長女の私は、ずっと父が嫌いでした。母に思い遣りがなく、お酒ばかり呑んでくだを撒き、稼ぎが少なく、頭が悪くて言葉が汚い・・私を可愛がってくれている部分には全く目がいかず、母の言葉の通りに父を見ていました。

なので思春期の反抗期のエネルギーは全て父に向かい、「はげ!糞おやじ!」と罵倒しても母には叱られず(とうかむしろ母は喜んでいたようです・・笑)、ずいぶん柄の悪い娘だったなと、振り返ると父には申し訳ないの一言です。

そんな私が母からの呪縛を自分で解き始めたのは、ほんの十数年前のことでした。

母を好きすぎて、彼女の愚痴のゴミ箱に成り下がっていた私は、ようやく自分自身のパワーを取り戻し始めたのでした。

40年近くやってきた自分の在り方を変えるには、かなり時間がかかりました。母とは口をききたくなくなり、一度は断絶に近い状態にまでなりました。

数年かかってようやく自分を取り戻した私は、また私を大好きな母を、ある程度の節度を持って受け入れるようになったのです。

そうしてお盆で顔を合わせた昨日、母は私と二人だけになった時に、またもや涙ぐみながら、父と別れたいことについて話をするのでした。

地球のシフトに伴い、秘められたエネルギーは表面に浮かび上がり、私達はもう自分の思いを押さえつけて生きることはできなくなっています。

時々は大阪の弟が用意してくれているマンションに住んで、事実上の短期間別居をしたりして何とかやりすごしていた母だったのですが、長年押さえつけた気持ちがもうどうにもならなくなっているらしく、見ていても本当に苦しそうです。

80歳での離婚もありなのかな?と一瞬思ったりもしますが、母自身が世間体と経済的な事と、一人になる不安とでまだ揺れ動いている状態なので、私はただ淡々と私の感じることを伝えるのみで応対しています。

人間の可能性は無限ですから、ここまできて離婚はないとは言い切れません。もちろん関係性の修復も可能性としてはあるのでしょうが、それは難しそうに感じます。

母は、結婚した瞬間から後悔し続けているのですから、その歴史はもう半世紀を超えています。これまでに父との不和に対して費やしたエネルギーで何か仕事をしていたら、かなりの業績を残せただろうなとつい思ってしまいます。

気を紛らせるために、お金も時間も使ってありとあらゆることをしてきても、結局は振り出しに戻るのです。

母が怖れているのは、「変化」です。そして、自分の環境によって与えられた人生を、自分の手に取り戻して生きるという「責任」を取ることを怖れているのです。

母は私にも何度でも相談を持ちかけてきますが、同時に友人にも色々と相談をしているようです。そしてその友人達は、「この歳になって離婚なんてしても得なことなど何一つない!」と母が動くのを止めようとします。

その繰り返しは母が60歳の時から行われていました。
「この歳」というのは、すでに20年前から更新され続けていた訳です(笑)

人は、自分の欲しい答えを与えてくれる人に相談をするものです。無意識であっても、そういう人に話をしています。ですので、相反する答えを持っている私と友人達に相談し続けるところをみると、母の中には二つの答えがあるのだと思います。

どちらのアドバイスを受け入れるかは、母の自由です。

私は、本気で母が聞いてきている時のみ、私の考えを伝えます。単に愚痴を聞いてほしいと思っているなと感じる時は、話題を変えて、母の相手はしません。誰かの気持ちのゴミ箱になることはもうやめたからです。

さあ、母はこれから一体どうするのでしょうか。

地球のエネルギーシフトの前までは、口ばかりで離婚は絶対にないと思っていましたが、このところの彼女の様子を見ていると、絶対にないとは言い切れない変化を少しは感じます。

80年も生きて来て、こんなに苦しい哀しいと生きるのもありだし、きょう生きていることに感謝をし、喜びにあふれて充実して生きる人生もありなのです。

人間に与えられている自由は、なんと素晴らしいものなのかと思います。

母が今世で葛藤を手放し喜び溢れて生きることを願っていた私自身の執着を手放したことで、母と向き合うことは随分楽になりました。

母は、自分が選んだ人生を、自分のやりたいように生きているのです。

自己憐憫に満ちた人生を楽しむのもよし、自分の望む通りの人生を創り出すのも自由なのです。

童女のような明るい笑顔が素敵な母が、いつも幸せだと口にしてくれるようになることを願わないと言ったら嘘になりますが、彼女の選択をどんな時でも尊重するという姿勢で向き合っていくとき、彼女と出会ったこの人生を私は楽に幸せに生きられるのだと感じています。

私達は、生きたいように生きることができる、本当に素晴らしい存在なのですね。


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