私が初めてリトリートという言葉を知り、それに参加したのは5年ほど前の事でした。

それはアメリカ・北カリフォルニアのマウントマドンナという場所で開催されていた、「今ここ」に集中するリトリートでした。


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リトリートとは、英語ではRetreatと書き、直訳すると「避難、退去、隠居、静修」などの意味ですが、この場合のリトリートは「仕事や家庭生活等の日常生活から離れ、自分だけの時間や人間関係に浸ることで自分を見つめなおす場所」を指す言葉として使われています。〕

アメリカ一人旅  その1
(アメリカ一人旅 2) リトリートinマウントマドンナ
(アメリカ一人旅 3)『今、ここ』
(アメリカ一人旅 4)変化
 
(アメリカ一人旅 5) 共感


その後、自分のインスピレーションに従って、私自身が主催するリトリートをハワイのカウアイ島にて二度行いました。


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カウアイの奇蹟 (カウアイリトリート2012)
カウアイリトリート2015 ① リトリートへ出発(~⑭まで綴っています)

それらは、参加者の皆さんに、これまで自分が生きてきた世界の境界線を広げるような役割を果たす事と、本当の自分自身に繋がる事を容易にする機会を提供することを目的としていました。

自分の世界の境界線を広げるというのは、「①家族の中で自分だけが海外へ行くこと ②1週間という時間を自分の為だけに使う事 ③ある程度のお金を自分だけのために使う事 ④やらなくてはならない家事や役割から離れること」・・・などなど、ざっと挙げただけでも、普段の生活においてはしょっちゅうやらない事であったり、もしくは子育て中のお母さん業をしている人などにとっては、タブーとしか言えない事ばかりへの挑戦となります。

上記の事は、都会に住んでいる人達にとってはそれほど珍しい事ではないかもしれませんが、私の住んでいる北陸の地においては、なかなかハードルの高いことだと言えます。

個人の自由よりも、役割を生きることが重要視されている土地柄では、自分探しの旅など贅沢で我儘でしかないことだと言われても、決して珍しい意見ではないのです。

しかし、金沢で生まれ育ち、能登という更に田舎で生まれ育った夫を持つ私は、現在は自分が行きたいと感じる時にそれがたとえ海外であっても自由に出かけることができ、そのことで家族とギクシャクしたり、我儘だとそしられることはありません。

しかし二十数年前の私は、東京で行われた親友の結婚式にさえ、子供が小さいのに無理だろうと夫と母に止められ、悲しいことに参加することができませんでした。

随分私の人生も変わったものだと感慨深いですが、当時と今の私との違いは一体何なのでしょうか。

違いはただ一つです。
自分への許可があったかなかったか、ただそれだけでした。

地方の封建的な考えの親たちと、その親に育てられた夫が私を縛っていたのでもなんでもありません。実は私が私自身に許可を下していなかったので、それが私の世界で現実化することはあり得なかったのでした。

自分に対する許可度を上げるというのは、口で言うほど簡単ではありません。潜在意識に刻み込まれている、長年慣れ親しんだ自分の中の尺度は、なかなかの手強さで抵抗します。そして自分の代わりに、家族の口を使ってNOと言うのです。

海外リトリートは、そのように自分一人ではなかなか越えることが難しい制限を超えるためのアシストをします。そしてそれは、その後の人生への自分の許可度を大幅に上げるために役に立つのです。

また、私が皆さんをお連れするのは、私自身と繋がりが深いパワースポットと呼ばれる母なる地球を感じる場所です。

その土地にご縁があることで引寄せられたリトリート参加者の皆さんが、より深くその場所と結びつくためのエネルギー的なサポートをさせて頂くことが、私の役目だと感じています。

今年も10月から12月までの間に、MYLコースの卒業生を対象にリトリートを開催する予定です。

本当の自分と繋がり、美しい地球と出会う、素晴らしい時間を過ごせることを楽しみにしています。

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