朝から断捨離モードにスイッチが入って始まった日の、一番大きな断捨離の品はこれでした。

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遥か昔、若かった私が嫁入り道具を揃えていた時に、母と一緒に選んで買ったフランス人形です。

私が好きではないえんじ色のドレスだけれど、お顔が綺麗だったのと、母が大好きな色だったので購入したのだと思います。

実は、このドレスの赤がリビングのピアノの上にあるのは、ずっと私にとってはどこか違和感がありました。

思い切りよくなんでも処分するのが得意な私が、違和感がありながらも手を付けないでずっときたのは、多分この人形は、ある意味母の象徴だったからなのだと思います。

その人形を、とうとうゴミ袋に入れました。母を捨てる代わりに捨てました。

物騒な物言いですが、私の中ではそういう台詞がぴったりの心境になり、そうせずにはいられなくなって捨てたのでした。

私の中には、もうそんなに母に対する葛藤はないと思っていました。しかし、どうもそうではなかったようです。

断捨離にいそしんでいたその日、母との間でちょっとした事件が起こり、それをきっかけに私の中で信じられないような大爆発が起こりました。夫の前で母を口汚くののしり、机を蹴っ飛ばし、怒りがはずれた後には空しさと悲しみがやってきて、私は大泣きしたのでした。

子供たちが外出していた時で助かりました。夫以外にはちょっとお見せできない醜態でしたから(笑)

私と母とは、元々精神的には親子関係が逆転しているような間柄です。それは私がまだ10代の頃からそうでした。

長じてからは、サイキックリーディングやチャネリングなどで、なぜ私が母の元に生まれてきたのか、母がなぜ異様な程に私の事が好きなのかについても知ることができました。

ある意味、私と母は共依存の関係だったのかもしれません。

母は、幼い頃に養女に出されたという生い立ちに遡り、養父母との確執、唯一の実の妹との断絶、夫との長年に渡る不仲、息子の嫁への不満など、まるで世界中の不幸を全部背負っているかのように自己憐憫の権化として生きてきました。

そんな母が頼りにしているのは私だけだから、うざくて仕方がない母なのだけれど、どうしても見捨てることができないから・・と、私は40年近く母に我慢をしてきたのでした。

この10年ほどは、遅すぎた母への反抗期も乗り越え、私自身を大切にすることを守りながら、あまりべったりすることなく母と付き合ってきたつもりでした。

それでも、まだ私は本当の意味で母から自立していなかったのだなと、やっとわかりました。


以前から、私の断捨離の大きな課題の中に、嫁入りダンス、七段飾りのお雛様、母が苦労してローンで買ってくれたアップライトピアノ、がありました。

事件の後、母を捨てる代わりにこれらのどれかを捨てよう!という気持ちがむくむく起きました。

しかし良く考えてみると、嫁入りダンスは実はまだ活用されていて捨てると困るものになっているし、お雛様は孫娘が生まれたので、彼女が喜ぶうちは飾って見せてあげたいという願望が芽生えているし(笑)、ピアノは私も娘もまだ弾きたい気持ちが強いので捨てたくはない・・・と、いうことに気付きました。

そして目についたのが、冒頭のフランス人形でした。

たった人形一つなのに、それを無くした空間を見ると、なんとも言えない自由な気持ちが湧いてくるのが不思議です。怒りの大爆発は、私を縛る存在としての母を本気で捨て去るために必要なきっかけだったのだなとわかります。

母との関わりを断つとか、母の相談に乗らなくなるとか、そういうことをするわけではありません。しかし、私が私自身を縛っていた、苦労して育ててくれた母への罪悪感を手放すことに許可が下りたのを感じています。

爆発のきっかけとなった事件は、私にとっても思いもよらないスムーズな流れへ動くことになりました。母にとっても、私にとっても、とても良い流れです。

地球のシフトに伴う、より高いバイブレーションへの移行は、深いところに潜んでいた重苦しいエネルギーのリリースなしには進んでいかないのだなとつくづくわかりました。

断捨離というメソッドをうまく使い、自分に起きているエネルギーのリリースを目に見える形でサポートしながら、こうやって一つ一つ軽やかになっていくことができるのだなと、数日前には想像もできない心地よさを感じている今の私です。