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今年の初びっくり!が昨日私に訪れました。

実は私、以前より吉濱ツトム氏の 「アスペルガー克服6か月実践オンラインプログラム」というのに取り組んでいました。何故かというと、彼のHPにあったアスペルガー診断テストで、私自身も「グレーゾーン・アスペルガー(隠れアスペルガー)」だと知ったことと、私の主催していたコースに参加していた人のほとんどが同じくグレーゾーン・アスペルガーもしくは、真性のアスペルガーだとわかったからです。

自分自身が発達障害と呼ばれることでの生き辛さを克服したいというより、それで生きるのが苦しい人達のサポートをすることができたら・・というのが、受講した本当の動機でした。(もちろん、自分にも役立つことも多いですが、私自身はそれで悩んでいるとかいう事はもうないと思っていたのです。)

講座は動画で進められているのですが、私は机に座ってじっと動画を見るということがとても苦手なので、いつもヘッドフォンを使って、何か家事をしながらそれらを「聴く」というやり方で視聴しています。ですので講座2か月目にあった「アスペルガー診断テスト」は、もうHPでやったからいいやと飛ばし、もう一つあった「ADHD診断テスト」も一緒に後回しにしていたのでした。

そうして昨日何気なく、まだやっていなかった 「ADHD診断テスト」の方を、洗面所で化粧をしながら(笑)やってみたところ、「多動衝動性優位型ADHD」のテストで、なんと40問のうち33問が当てはまるという、「医師から診断されるレベルのADHD」だったのです!

質問に答えている時点で、「私、全部当てはまるのでは?!」と思うほど自分のことを言われているようでした。NOと答えたものでも、大人になるまでに自分自身を訓練してそうではなくなっている部分がほとんどでした。

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私は、今の日常生活で自分がうまく適応できなくて辛く感じているという事は特にありませんし、子供の頃学校で立ち歩いたなどという事もなかったので、多動衝動性優位型ADHDであるという可能性を疑ったことはこれまで一度もありませんでした。(参照→ ADHD(注意欠陥・多動性障害)とは? )

しかし質問事項を読んでいると、「授業中いつも落書きをしていたり夢想していたりしていなかったか?」と問われると、実際そうであったことを思い出しました。小学校の時は授業があまりにつまらないので、いつも自分で教科書のずっと先を読んでいたり、算数の問題をどんどん先まで解いていたりしていました。そうしていない時でも、いつもあれこれと夢想していました。

高校時代は、学校の授業に興味がなくて嫌で仕方がなくて、早々に大学進学することもやめて、授業中はずっと机の下で本を読みふけっていました。

大人になっても興味のないことをやるのが本当に嫌いで(反対に興味があったら、それこそ時間を忘れて没頭するのですが・・)、机に座って勉強をするというのも大嫌いで、英語が少しばかりできるようになったのも、机の前にじっと座って勉強するのが苦痛なので、家事をしている時と車を運転している時は耳から英語を聴いたりシャドウイングしたりするというマイルールを作って、それをずっと続けてきたからでした。

子供のころからケアレスミスと忘れ物が多いことをよく指摘されてきましたが、大人になった今はスマホを活用して、仕事に関しては二重三重にアラーム機能などを使って、スケジュールなどを忘れることがないように気を付けています。

こうつらつら書いてくると、なるほど!と思える多動衝動性優位型ADHDの特徴が随分当てはまっています。つまり私自身は、障害と言うべき特性とうまく折り合ってこれまで生きてきたようです。そして、私のやっている仕事なども、自分が自分用にオーダーメイドして作り続けてきた結果なので、私によくカスタマイズされているため不都合がどんどんなくなってきていたという訳です。

あまりにびっくりしたので、夕飯時に家族に食卓でその話をしたら、夫も娘も「驚かんわ」と言うではありませんか!「ママが普通と違うことは間違いないし」と・・。試しに二人にもテストをしてもらいましたが、彼らは私とは違ってたくさんNOがあり、ADHDではありませんでした。(確認したくなるほど、質問事項は私にとって当たり前のことだったので・・)

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私はこれまで自己流で、自分が生き易くなるように人生を変化させてきたのだなということが、ようやく良くわかりました。確かに、二十年ほど前の私は、毎日何かに切れていました。突発的に衝動が突き上げて、物に当たり散らしながら怒鳴りまくっていたのでした。(今でもないとは言えませんが・・)一旦何かに興味を持ったら、オタクと言われるレベルまで調べ上げたり(これも今でも・・笑)、そうかと思えば、飽きてしまうと全く見向きもしなくなるというのは日常茶飯事でした。

私自身は、発達障害というのは「障害」だとは全く思っておらず、脳の発達具合が普通と呼ばれる人達と違っているだけだと思っているので、自分自身がそうであることにショックを受けているわけではないのです。ただ、質問事項に答えている時にあまりに当てはまったので、自分がカテゴライズされる場所があったのだということが驚きでした。

そしてスピリチュアルと呼ばれる世界では、発達障害を抱えている人達をNew Kids(新しい子供達)と呼び、より繊細なバイブレーションで地球のシフトに貢献するために生まれてきて人達だと定義しているので、その子供達や元子供達(大人)をサポートするのが私のミッションだと思っていた自分自身が、他ならぬ年とった(笑)New Kidsそのものだと証明されたことが、ある意味痛快でした。
(過去ブログ参照→「隠れアスペルガーという才能」「新しい時代の子供達The New Kids」

私は、医学的見地とスピリチュアルな視点との両方から、発達障害とカテゴライズされる人達がより生き易く、また自分に隠れている才能を発揮して生きていくのをサポートしたいと思っていたのですが、自分自身のことを改めて発見することで、その思いが更に強まりました。

それはまるで医学において、人間に寄与するのは科学の発展の成果とも言える西洋医学のみならず、目に見えない分野の叡智が集結している代替医療との両方である、という事に似ているような気がします。

これから追々その両方の視点から、発達障害と呼ばれる在り方をよりポジティブに生きるための知恵をシェアしていきたいと思っています。