flowers-1575935_1920

昨日ご紹介した吉濱ツトムさんの公式ブログより、『マイナスの症状をプラスに転換する』ことについて私の思うところをお伝えします。


まずは、 『マイナスの症状をプラスに転換する』の(1)より転載します。

 *マイナスの症状をプラスに転換する(1)

 発達障害というと、ついマイナスの症状ばかりに目が行ってしまいます。

 日本は、「人と同じ」ということを重視する風潮があるので、ある意味仕方のない部分かもしれません。


「出る杭は打たれる」ということわざがありますが、良くても悪くても、人と違うことは叩かれてしまう。そういう文化なのです。
現代では、「出る杭は延ばそう」という気風になってきましたが、やはりまだまだ、引っ込んだ杭に対する風当たりはきついまま。

 発達障害を持つ人は、マイナス面の総和に匹敵するだけの大きな才能を持っているのですが、才能については、ある程度の  トレーニングを積まなければ表立って出てこないという特徴があります。

 しかし、マイナス面は嫌でも目に付いてしまう。

 なので、マイナスを直そう、マイナスを直そう、と必死になるわけです。

 ところが、です。

 マイナス面は、上手に扱えばプラスに転換することができます。

 将棋の駒の「歩」が「と」に成るようなものです。

 マイナス面だと思っていた症状も、使いようによっては非常に大きな武器になるということを知っておいてください。

 では、そのマイナス⇒プラスの「と金」について、これからいくつか例を挙げていこうと思います。

(吉濱ツトム公式ブログ 「未来への思考法」より)

 

私の小学校・中学校時代の座右の銘は、「出過ぎた杭は打たれない」でした(笑)フェミニストとして有名な田嶋陽子さんがそう発言したと聞きましたが、その言葉は私の気持ちをとても楽にしてくれたものでした。

自分では、自分のことを人見知りでシャイだと思っていたのですが、外から見ると私は随分目立っていたようで、仲の良いクラスメート達は慕ってくれていましたが、他のクラスの男子からは「生意気な女」のレッテルを張られて陰口を叩かれることもありました。

今にして思えば、ADHDの多動衝動型に分類されるらしい私は、自分では当たり前だと思うことを堂々と口にし、型にはまった従来のしきたりなどには反発し、スピーチコンテストで「男女差別について」などと、学校の体制にまでも批判を述べたりしていたのですから、先生方の中にも苦々しく思っていた人がいたかもしれません。

しかしこれはまさにもろ刃の剣で、その私の姿に共感してくれる人達は私を生徒会の役員に押し上げ、生徒たちのオピニオンリーダーになることができました。

方向性を一歩間違えると、単なるうざい奴になりかねないことも、1000人の前で話すことを怖れない気質は、何かを発信する時には大きな力となったわけです。

また、私はよく家族や親しい友人からは「飽きっぽい」と言われがちですが、それは「飽きるのが早い」というより、「マスターするのが早い」と言い換えてもよい面があります。

一つ興味を持つと、朝から晩までとことんのめり込んで調べたり打ち込んだりので、通常の人が数年かけるところは数か月、数か月かけるところは数週間でやり尽し、それが終わると興味がパッと醒めて、次のことへと移ってしまうのです。

ですので欠点と言えば、長期間の修練が必要なことに対しては、工夫して自分をある程度だまして、パターン化していかないと続かないということです。これまでの私の例では、ピアノの習得や、英語の習得がそれに当たります。

物事には飽きっぽいのですが、一旦習慣化したことはずっと繰り返すことができるというのも自分の特性だと知っているので、それを利用して英語などは習得をしました。

ただし、「自分の特徴に合わせた習慣化」が絶対に不可欠で、私の場合は『①興味のあること』を、『②興味の持てるやり方』で、『③ある程度のプレッシャーをかけてやる』ことが必要でした。

英語なら、『①大好きな英語ドラマの録音』を、『②家事をやっている時や車の運転中のみウォークマンで聴く』ことを、『③家事や車の運転中は必ずやる』と決めてやることでした。

このように、「発達障がい」などという言葉も知らない頃からしていたやり方が、ちゃんと理にかなっていたということは、私にとっては嬉しいことで、自信になることになっています。

これらは、自分のマイナス面をプラスに変えようと、私なりに努力していた結果とも言えると思うのです。

『マイナス面の総和に匹敵するだけの大きな才能』に目を向け、それを伸ばすことは、発達障がいとカテゴライズされる人達本人のためのみならず、この世界への貢献となると私は思っています。

今生まれてきている子供たちの世界においては、「発達障がい」がマイノリティーではなくマジョリティーになりつつあります。おそらく「ふつう」という言葉はこれからは消えていくのではと思うのです。

教育の現場においても、親が子に対してする教育においても、マイナス面はそれが苦痛を伴わないレベルへと押し上げ、プラス面を伸ばすことにより力を注いで個性を伸ばすことが、これからは重要になるように思います。

既に大人になった私達は、それを自分自身にしていかなくてはならないということなのですね。



『マイナスの症状をプラスに転換する』~ ②へ続く・・)