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昨晩は風邪が悪化して、気力を振り絞って夕食を作ったのですが、やがて身体を起こしているのがもう無理という状態になり、色々しなくてはならないこともありましたが早々に床に入りました。

実は私は、自分の身体のことに関しては結構我慢強い方で、がんばればなんとかやれる!という状態では「しんどい(辛い)」と口にするのが苦手でした。

怒りの沸点が高いとか低いとかいう言い方がありますが、我慢の沸点(?)とでもいう値は、人によってかなり違うらしいという事を、結婚してからようやく知りました。

夫と私とでも違うし、子供もそれぞれタイプが違い、一概に「しんどい」と言っても、その状態には差があるという事に気づき、それを口にする時の状態にもかなり違いがある事を認識しなくてはならないことがわかったのです。

そして、自分の身体の調子が悪い時に、がんばればまだなんとか家事などをできる状態の時に、しんどいからそれをしたくないと夫に言うのが難しい自分を発見しました。

多分私と同じ状態なら、夫はしんどいアピールをかなり強めに言いますし、それに対して私も気遣いをすることはちゃんとできるのですが、いざ自分のことになると、ついつい言うことをためらう私がいます。

しかしそれは、これまでは当たり前のことだと思っていたのですが、どうやら私にとっては乗り越えなければいけないことだと、最近気が付いたのでした。

なぜなら、身体の具合が悪くてもついつい無理をして動くことを自分に課していると、他の家族が同じような状態で無理をしないで辛いアピールをする時、心の中で彼らを非難してしまう自分を発見するからです。

なので昨晩は、実際動けない程苦しかったのもありますが、自分への許可を意識的に下して、早々に床に入ることをしたのでした。

随分大袈裟なことを言っているようですが、いつもすることをしないで家族に迷惑がかかるとき、本当に自分の心の中に少なからぬ抵抗が起こるのです。「無理をすれば、何とかやれないことはないから・・」と、楽なことを選ぶことへの罪悪感を感じるのです。

『頑張ることは素晴らしい!』
『限界まで挑戦する姿勢は美しい!』

どこかで目にしたようなスローガンが、知らず知らず自分の中に刷り込まれているのがわかります。

過労死の問題や、いじめにあっているのに頑張って頑張って死を選ぶまで追いつめられる人は、どこかでこの世界に静かに刷り込まれているこのスローガンの呪縛から離れられなかった、心素直な人達なのではと思います。

もちろん、何かを極めようとして、限界まで挑戦を続けることは素晴らしいことだと思います。しかし、建設的な結果を生むための努力ではない場所で、自分が苦しいことを我慢し続けるのはどうなのだろうと思うのです。

自分が我慢しているから、相手にも我慢して当然と強いる風潮が生まれ、その為に自分を粗末に扱ったり、本当にしたいことをしたいと言えなかったり、もしくは相手に言わせなかったり、本当にしたいことをするのは我儘だとする空気が生まれるのではと思うのです。

風邪をひいて、単に早めに寝るかどうかという、なんでもないような出来事だったのですが、その底に潜んでいる静かな抑圧のエネルギーについて、改めて考えてしまったのでした。

『自分を大切にする』ことを心がけている人でも、知らず知らずに刷り込まれた考え方から本当に自由になるためには、とても意識的に自分の中に浮かぶ感情や感覚を見ていく必要があるのではと感じます。

昨夜の少々葛藤した苦しさから一日経って、まだ完全に元気になったわけではないのですが、昨晩との比較でもう大丈夫!と思って、ついついこうしてパソコンに向かっている私でした(笑)