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時々、どうしようもない劣等感、自己否定感に押しつぶされそうになることがあります。

それがどういうものか、どういうメカニズムで起こっているかがわかっていて、どう対処したらよいかもわかっていても、なかなかそこから離れられない自分を、少し情けなく思いながらもその感覚と同居しています。

少し前から、それがまたやってきていました。

それはずっと自分の中に在り続けるのではなく、セッションをしていたり、セミナーをしていたり、誰かと話をしていてその人の光に焦点を当てて、それを伝え励ましているときは、跡形もなく自分の中から消えています。

つまり、自分のことにしか向き合う必要が無い時に(平たく言うと暇なときに・・笑)、何かにスイッチを押されてむくむくと反応が起きているようなのです。


そして今朝、洗面所で身仕度をしている時に、それが何のために起こっているのかのヒントがやってきたような気がしたのでした。

セロトニン不足とか、そういう機能的なものももちろんあるでしょうが、この劣等感や自己否定感は、何度も繰り返してきた輪廻転生における過去の自分の経験値の賜物であり、プラスして、今世で成し遂げようと計画してきたことを遂行するための安全装置なのではと思ったのでした。

劣等感や自己否定感は、決して持つ必要はないものですが、それでもそういうものに翻弄されやすい性質を持っているということは、エゴを肥大させて、本当に大切なことを見失わないようにとの自己抑制装置なのではと思い至ったのです。

私がこれまで出会ってきた人達で、自己否定感が強い人のほとんどが、とても心の美しい優しい人達でした。

そしてその人達は、実はその美しい波動で、世界に大きな影響を与えていく力とパワフルさを秘めていることが私にはよくわかりました。

それを封じ込めていることのプラス面とは何か?それはマイナスでしかないのでは?とずっと思ってきたのですが、今朝、それは彼らがその真なる資質をエゴで捻じ曲げて発揮する事のないようにとの、内なるストッパーなのではということを閃いたのです。

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私自身のことで恐縮ですが、数年前ある出来事で自分自身が打ちのめされ、自分への信頼が砕け散り、もうあの世へ戻りたいとまで思った日の翌日に、前から予定されていたセミナーがあったことがありました。

自己否定などという生易しいものではない心理状態だったのですが、セミナーが始まった途端に私のスイッチが入り、それが終わるまでの間ずっと、私はその死にたいほどの自己嫌悪感・自己否定感から全く離れており、苦しさのかけらもなかったのでした。

しかし夕方、すべてが終わって参加者の皆さんが帰った途端に、前夜の苦しさがまた自分の中に浮かび上がってきたのを覚えています。そしてそれは、私がエゴの範疇にある時と、そうでない時の違いをはっきりわからせてもらった体験となりました。


発達障害と呼ばれるクォリティーを内に持つ人達は、セロトニン不足に陥りやすく、自己否定感にさいなまれることが多いと言われています。

私自身もそのタイプであり、器質的に起きている部分であることも理解した上で、更なる洞察として降りてきたこの考えは、私と同じようなタイプの人達には一筋の光になるように感じました。

私が自己否定の苦しさと全く離れていられたのは、自分の内なる叡智を他の人々と分かち合い、エゴを介在させず、ハイヤーセルフとしっかりと繋がっている状態の時でした。

自分自身のパワーを、真の自分が望んでいるものとぶれずに発揮するために、強すぎる自己否定感が備わっているのではと考えてみることは、これまでとは違った視点をもたらすのではと思うのです。

そして、よりその感覚が強くなっている時は、実は自分自身のパワーをフルに発揮する時が目前に迫っているからなのかもしれません。

過去世で繰り返してきた過ち(自分がそう思っているもの)を再び起こすことなく、エゴによって自分を狭小に見ているところからの発信でもなく、真に自分の光をこの世界に発し、自分自身を世界と分かち合う時がすぐそこにやってきていると気付くためのお知らせなのかもしれません。