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夢を見た。

これまでも何度か繰り返して見てきた夢なのだけれど、今回は少し違っていて、私はナイフで私を刺そうとする人から必死に自分を守っているシーンがあった。

目が覚めて、夢と現実の境を越えて戻ってきたら、何が起きていてのかをようやく理解した。


私は過去にある仏教系の新興宗教に属していたことがあるのだけれど、そことはもう縁を切っている。

しかし、その時に私が誘ってしまった弟は今でもそれを信仰していて、私が辞めた後10年以上も、私の代わりに毎月の費用を払っていたらしい。つまり辞めたと私が思っていても、実際には私はそこを辞めてはいなかったのだ。

そのことには実は私は気がついていた。何故なら、何かの大きな法要があるたびに、そこからのエネルギーを夢の中で感じたというか、体験していたからだ。

夢のストーリーの中で、唐突に私はその団体へ戻らなくてはならないという示唆を受け、あやうく帰りかけて、直前にはっとして気づく…というパターンを繰り返していたからだ。

目覚めて気づくと、決まってそれはその団体での大きな法要で施餓鬼や護摩が焚かれている日なのだった。弟は、私のためにそれらを申し込み、供養してくれていたのだろう。

エネルギーというのは確かに存在すると証明されるようなことだったが、それは弟からの私への愛情だということはわかっていたのと、姉弟の仲をこじらせたくない思いで、長い間彼に問いただすことはしなかった。自分さえしっかりしていれば、書類上そこをやめていようがそうでなかろうが、それでよいと思っていたからだ。

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しかし3年ほど前に急に、それも違うという感覚がやってきた。それで、弟がどう思おうと、私達の仲がどうなろうとも、私は自分が心地よくない事にはちゃんとNOを言おうと思い立った。

弟は最初は本当のことを言わなかったが、私の本気を知って、ようやくそうしていたことを謝ってくれた。

彼は私への愛でそうしてくれていたのだから、謝る必要なんて実はないのだけれど、私の思いを尊重しなかったことを謝ってくれた。そのことは、正直嬉しかった。


そして今朝、久しぶりにかつて何度も見たのと同じような夢を見て、驚いて目が覚めた。

もう私はその団体に属してはいないのは間違いないのだけれど、弟が好意で私に何かをしてくれたのだと思った。なぜなら、夢の中で感じたエネルギーは、よく知った以前のものと同じだったからだ。

しかし今回は、これまでとは一つだけ違っていたことがあった。書類上その団体に属していた頃は、夢の中で自分が傷つけられるようなストーリーは体験しなかったのだけど、今回それは、見知らぬ男性の形をとって、私をナイフで刺そうとしてきたのだ。

目覚めて、何が起きていたのかようやく気づいて、少し驚いた。

そして、あくまでも私の夢の中の話なので、普通に考えるともし違っていたら失礼な言動になるのだけれど、私はやはりちゃんと弟に伝えようという気持ちになったのだ。

あなたからの愛情はありがたいのだけれど、こういう形での愛はいらないと、はっきり言葉にして彼にメールした。


弟はとても優しくて暖かいハートの持ち主なので、きっと悩むだろう。もしかすると、自分の気持ちが踏みにじられた気がして怒るかもしれない。

しかし、彼が私にしてくれているのは、愛情以外の何ものでもない本当に美しいものなのだけれど、そこには宗教と言う信念体系の中でのエゴも間違いなく含まれている。

今は県外に住んでいる弟とは、普段はあまり接点はないのだけれど、私達は会えば笑顔であいさつしあい、お互いを思いやる気持ちもちゃんと持った、愛情を持ち合っている姉弟だと思う。

それでも私は、その弟が不快な思いをするかもしれなくても、ちゃんと自分を一番に大切にしたいと今朝は思ったのだ。

こんな夢を見たりするのは私の特異さなのかもしれないけれど、たとえ夢であっても心地悪いものは心地悪いのだから、それに対して「やめてください」と言ってもよいと思ったのだ。

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同じようなことは、日常茶飯にそれぞれの家庭で起きているのではないかと私は思う。

 愛という名の下で、相手を尊重しないエネルギーをぶつけ、それを正当化すること。

 愛というのは絶対だと信じ、それを受け取ることを強制し、「あなたのために」という言葉で相手を縛ること。

 愛というものに甘え、不機嫌でいることを当然とし、相手が自分に合わせることを無意識に強いること。


自分が親の立場であっても、子供の立場であっても、きょうだいであっても、家族だからこその相手に対する強い思いが、実際には不調和を生み出していることが多々あるように思うのだ。


自分への自戒も込めて、弟からの深い愛情に感謝しつつも、改めて自分を大切にする事について向き合った朝だった。






家族関係には、思い込みの盲点が多々あります。

自分は家族とうまくやっていると思っている人も、あまりにも長い間それが当たり前なので「そう思ってしまっている」、もしくは無意識で自分に「そう思い込ませている」ことが多いのです。

きょうの私の文章を読んで、何か少しでもざわつきを感じた方は、自分の盲点に触れる体験をしたのかもしれません。

11月19日(日)開催の齊藤つうり氏のWSも、きっとその解明にお役に立つのではと思います。

主催者として私も会場におります。ぜひ話しかけにいらして下さいね!
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家族関係をめっちゃ軽くするワークショップIN石川