『毒になる親』(スーザン・フォワード著)という本を手にしたのは、随分前のことだったと思います。

昨年の本の大断捨離のせいで、もう今は手元にはないのですが、実は私はその本をちゃんと読んではいなかったのです。

本屋でものすごく心惹かれて、ぱらぱらと立ち読みをして購入して帰ったのですが、きちんと通読した記憶がありません。

今なら、その時の矛盾した私の行動の意味がわかります。

実は私は、そこに書かれているのが自分のことだということを深いところで知っていたのに、ちゃんとそれを知るのが怖かったのです。

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ウィキペディアによると、『毒親』とは以下のような親のことを言います。

毒親(どくおや、英:toxic parents)とは、過干渉やネグレクトなどによる児童虐待によって、一種の毒のような影響を子供に与える親のこと。(・・ウィキペディア「毒親」より)

真っ当に育っていると自分のことを思っていた私にとっては、上記のような「過干渉やネグレクトなどによる児童虐待」という激しい言葉は、どこか別世界の気の毒な子供のことだったのです。

しかしウィキペディアには更に、母娘のことについて次のように書かれています。

母による同性間ならではの娘への束縛や虐待(分身としての過度な私物化やコントロール、夫婦間の不満や愚痴のはけ口としての利用など)を受けるも、娘は「母性」神話によって母親を悪者に出来ず、又は気付かずに苦しみ自身の人生を生きられなくなるとされる。

支配型の毒母の場合、娘の世話を熱心にみることから、周囲からは愛情深い母親の行為として見られたり、母親の愛を得んがために、その期待に沿って猛進するため、社会的には成功する場合もあり、そのため周囲に苦しみを理解されない娘の苦悩はより深い。

母を負担に感じる娘の場合、摂食障害や鬱といった精神的症状が表れる事例が多いといわれている。(・・ウィキペディア「毒親」より)


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「束縛」や「虐待」という言葉だと、何か特別なことのように感じますが、「分身としての過度な私物化やコントロール」であったり、「夫婦間の不満や愚痴のはけ口としての利用」と言い換えられると、それは私のみならず、心当たりのある人は山のようにいると思うです。

私自身は母親のことをこう思っていました。

「子供の頃からひどい養父(私の祖父)に虐げられ、家を継ぐために嫌々結婚させられたお父さん(私の父)もひどい人で、愛もお金もない家庭に耐えて、苦労して私たちを育ててくれた可哀想なお母さん」

なのでもの心ついた時から、私は母を喜ばせることが子供として最高の親孝行だと信じて生きてきたのでした。

そして、母を喜ばせるだけではなく、彼女が望むように生きることを選ぶことが自分にとって一番だと思い込んでいたのでした。

ですから、母に対するちゃんとした反抗期を迎えたのは、もう40歳代に入ってからでした。

行動ではそれ以前に色々と母の意に沿わないことを選んではいたのですが、その根底にはずっと母に対する申し訳なさ、自己嫌悪が横たわっていたのだと思います。

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きっかけは、先月主催させてもらった齋藤つうり氏の家族WSでトピックに上がった「加害者・被害者・救済者」のドラマ・トライアングルから出るには、「加害者」のポジションをとるしかないということについて、自分のことを振り返ってみたことでした。

もう母とのことは随分達観したと思っていたのですが、私はちゃんとした「加害者」のポジションにはいないと、気づいたのです。

ドラマ・トライアングルから抜け出している「ちゃんとした加害者」になっている人は、そのことを被害者に責められても、心に動揺がないはずだと知り、自分はまだそれが完全にはできていないとわかったのでした。


地球の波動がどんどんと高まっている今は全てのものが拡大をするので、恐れや怒り、悲しみなどのネガティブな感情も拡大します。

それゆえに、近頃はますます母のヒステリックな言動がエスカレートしていました。

それに極力関わらないようにしている自分だと思っていたのですが、ちょっとしたことに少なからぬざわつきを覚える自分、できるだけ母に会いたくない自分がまだいることを、私は結構持て余していたのでした。

つうりさんにそのことを話してみた時に、「結局は、ドラマから出たくないんだよ」とさらりと言われ、もうそこにはいないと思っていた自分がそうではないことに気が付いてしまったのでした。

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WSが終わった後も、そのことがずっと心に引っ掛かっていました。

「もう母のドラマには関わっていないと思っていたのに、私はまだドラマから出てはいないのか?」

そして、宇宙に投げかけた問いは、ものすごいスピードでちゃんと答えを体験できる場を用意してくれたのでした。


ストーリーを細かく話すと長くなるのでかいつまむと・・先日、実家で一人暮らしをしている父が癌の宣告を受け、そのことにショックを受けて心身の具合が悪くなり、その結果吐血して救急車で運ばれました。

私に連絡をとろうとしたのですが電話が繋がらなかったので、パニックになった父は別居している母に電話して、この件に母も巻き込まれることになったのでした。

その時の母の言動(緊急時なのに、父の愚痴を言う)に私が切れて母に暴言を吐いてしまったことで、母が私を明確な加害者のポジションに押し上げました。

その結果、母が父と離婚しないで別居している唯一の理由(遺産と遺族年金と家を手に入れたい)を脅かす存在として私を認定して、弟に私のことを罵倒した・・らしいのです。


母にはもうどう思われても構わないと思っていたのに、私が父の遺産を狙って母を陥れるという妄想に取りつかれたことを聞いた時には、絶望という言葉がふさわしいような衝撃を受けました。

最初は怒りを感じ、それはじきに悲しみに変わっていきました。

それはこれまでに感じたことのないような静かな深い悲しみの涙になって、私の中から何かがどんどん流れ出ていくような感覚でした。

母がどういう人間なのかということに、ようやく気付いたという、なんとも不思議な体感だったのです。

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母は間違いなく「毒親」でした。

母からの毒は、私の中の深い深い場所まで汚染していて、私はそれがあまりに深くて気づいていなかったのです。

そして、そこから残っていた毒が涙になって流れ出すというのがぴったりの感覚に、私は本当に驚いたのでした。


家に帰ってから、娘とそのことについて話をしました。娘は、「何を今さら?」という反応でした。

「そんなのずっと前からわかっていたことだよ。ママだけがおばあちゃんにどこかで期待をしていただけだから。」

私だけだったのです。とうに夫も娘も、おばあちゃんが私にとって紛うことなく「毒親」であることを知っていたのに、それを完全に認めることをどこかで拒否していたのは私だけだったのでした。

娘と話をしているうちに、はっと思い出して、数か月前に断捨離したときに出てきた、私が20歳前後に東京で一人暮らししていた頃に母から来た手紙の束を取り出しました。

その文面を娘に読んで聞かせると、娘は目を丸くして、「それって今やってるドラマの『明日の約束』お母さんが書いてる交換日記の文章と全く同じじゃない!」と、気持ち悪そうに言うのです。

『明日の約束』のお母さんからの文章は、こんな感じです↓(主人公は今は大人のスクールカウンセラーです。)

日記

明日の約束 8歳のひなたへ

10月21日

今日も日向はママの言うことが聞けない悪い子でしたね。
明日はちゃんと良い子になりましょう。

明日の約束

①ママがいいと言ったお友達以外とは遊ばない
②ママに口答えしない
③ママをイライラさせない

必ず守るように。

ママは日向が大好きです。

明日の約束 10歳の日向へ

3月10日

ランドセルの中にしまってあったラブレターは破って捨てておきました。
日向がこんないやらしい子だったなんて、ママはショックです。
二度とママを裏切らないでね。

明日の約束 

ママに無断で男の子を好きになったりしない。

必ず守るように。

ママは日向が大好きです。


必ず最後にママは日向が大好きです。」がつくのです。私への母の手紙も、まさにこのパターンと同じでした。

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今回私に起きたのは、まさに「本当に目が覚めた」という感覚でした。

私は、母がどうしようもないコントローラーだと知っていたのに、どこかで母を「毒親」認定することに抵抗していたのでした。

それは無意識のレベルで起きていました。

なぜなら私の中には、「洗脳」と娘が言うほどの母からの「毒」が回っていたからでした。

母を「毒親」認定することは、私自身の中にある「毒」を認めることになるのです。

まるで血液か何かのようになってしまっているその「毒」を認めることは、私自身を否定することのようにどこかで感じていたのでした。

幼い時に愛してやまなかった母親が、実は私を無償の愛で愛してくれているのではなくて、すべてが自己愛ゆえの条件付きの愛だったと認めるのが嫌だったのです。

極端な言い方をするなら、親に愛されることを自分のアイデンティティにして生きていたこれまでの自分は、全否定されなければいけないような体感なのです。


それは本当にショックなことでした。

最低の親だ、うざい母だ、と口では言っていても、心の底からそうは思っていなかった自分がいたことに気づいたのでした。

親への期待を完全に捨てること。・・・それは絶望を伴う強烈な痛みのある作業ですが、自分自身の人生を本当に生き始める時、絶対に避けては通れないイニシエーションでした。

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この十年ほど、私は何度かイニシエーションを実行してきたと自負していました。それらは、その時々に自分をシフトさせることになっていたことは間違いありません。

しかし、今回私が感じたものは、これまでのどれとも体感が違っていました。それは、自分の目を覆っていた厚い鱗がはがれたような感覚でした。

母の私への愛は、無償の愛ではなかったと認めることは、辛いけれども私を解放する体験だったのです。

なぜならそれは、私は二度と母のために自分を犠牲にして生きることはしないと、本当に決意するための後押しになったからです。

愛という名の母のコントロールから自由になると、心から決意することができたのです。

それは、「本当の自分」を生きる時に、避けては通れないとても大切なことを再確認する出来事だったのでした。




このテーマは本当に深いので、もう少し書いていってみたいと思います。


(「『毒親』について②」に続く・・予定。笑)