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「怖がり」というのは、「変化を怖れる」という事と同じです。

何を怖がっているかというと、自分がこれまで握りしめてきた観念を手放すのが怖いということです。

現在、地球上のエネルギーがどんどん変容しており、私達は昔の重い周波数の時にうまくいった「やりかた=観念」では、この世界でうまく生きていくことはもうできないのです。


例えば、昔は「体罰」というものが有効な子供達への矯正法でした。私の小学校3年生の時の担任は、何か悪いことをした生徒がいたら、クラスの前へ立たせ、「歯を食いしばれ~!」の号令と共に、頬を平手打ちしていました。

それでも、その若い男の先生は、お天気が良いと時々授業を投げ出して外へ遊びに連れて行ってくれるような人だったので、子供からは絶大な信頼と人気を得ていました。

私もその先生のことは大好きでした。なぜなら、平手打ちにも、ちゃんと愛がこもっているのを感じていたからです。


しかし、今の子供達の高い周波数には、もうそのやり方は合いません。彼らを殴ったりしたら、それは、繊細な彼らを痛く傷つけ、それを愛だなどと思う事は絶対にありません。

地球そのものの波動がまだ重かった時にうまく行ったやり方は、もう今では通用しないのです。そこに愛があるとかないとか、ではないのです。

平手打ちは、重い波動の時代の原始的なやり方なのです。(言葉の暴力よりも、肉体的な暴力は、絶対にやってはいけないのです。それは、エーテルを壊します。エーテル体の修復は、とても時間がかかるので、軽やかな波動の人間には、ダメージが大きすぎるのです。)


しかし、その時代にうまくいったからと、今でもそれをやっている年配の人や、その人たちに育てられた人も存在します。

そして、それはもううまくいくことはないので、色々な問題として浮かび上がり、社会問題のようなものにまでなってしまうのです。(例えば、会社などにおいて起こっている「ゆとり世代」と呼ばれる平成に生まれた子供達と、それ以上の年代とのギャップなどです。)

そういった、もう今ではうまく行かないやり方を握りしめたまま、それを手放して新しく機能するやり方を手にするのを怖れているのが、「怖がりさん」の正体です。 必要のない古い観念を握りしめていることで、過去にうまくいったという証拠(実は自分自身にとってはうまくいってないのに、それでもそのやり方に慣れ親しんでいるというだけなのに・・)を手放したくないのです。

それらは、親や社会からの刷り込み以外の何ものでもありません。 何より、自分自身がそのやり方でうまくできなかったことほど、それを握りしめたり、自分の子供や周りの人達に投影したりするのです。
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あなたは、その観念を握りしめていて、本当に幸せなのでしょうか?

自分がうまくできなかったこと、今でもそれができなかったことに罪悪感を抱いていることを、この先もずっと握りしめて、苦しいまま進んでいってもよいのでしょうか? どうせ、それはうまく行っていないのです。苦しさはここに存在しているのです。

ならば、思い切って、そのうまくいかない観念を手放し、自分が自分らしく、心地よく幸せに生きられる「かもしれない」新しい考え方で生きてみてはどうでしょうか?! 「かもしれない」と書いたのは、それをするもしないも、あくまでも自分次第だからです。 自分自身が古い観念を握りしめたまま、新しい視点で生きることをしようとしても、「やっぱり、うまくいかないのだ!」という現実を引き起こしてしまうからです。 なので、その意識を変容させる時には、とても勇気がいるわけです。 うまく行っていない古い観念を手放すと、完全に決めなくてはならないからです。

それはまるでまだ飛んだことのないバンジージャンプをするようなものです。怖くて当たり前だと思います。
こんなことを書いている私自身も、実はかなりの「怖がり」だったことを自覚しています。今でもそれがないとは言えません。 それでも、その怖さを思い切って飛び越え、古い観念を手放す作業を何度か繰り返してきたことで、これまで想像もできなかったような、以前と比べると格段に自由で心地のよい現実を手にしているのは間違いありません。
「怖がり」の自分を楽しんで(!)いた期間が長すぎたことを、今では少し後悔しています。

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もう一つ「怖がりさん」の怖れていることは、今自分が定義している「幸せ」以上の幸せはないかもしれないということです。 何より自分の可能性を狭めて定義しているのは、自分でしかないということを知ってほしいと思います。
今一緒いる友人や家族が、自分が手にする最上のものかもしれないと、勝手に思い込んでいるのです。

そうではありません。 今、自分が本当の自分を生きていると思えない人にとっては、その周りに存在している人々は、あなた自身を映し出している鏡のような存在でしかないのです。 自分を大切に扱っていない人は、あなたを大切に扱わない人としか出会えてはいません。

自分が自分のやりたいことにストップをかけているからこそ、あなたをストップする人達に囲まれているのです。 私達は、自分が想像している以上にパワフルな創造者なのです。自分の人生を、自分が望むように作っているのです。

「怖がり」とは、あえて自分の人生をより軽やかで幸せな方向へと向けることを躊躇している人のことです。 そのゲームを楽しみたいのなら、とことん楽しめばよいのですが、もし「怖がる」ことにもう飽き飽きしているのなら、ただ自分が次のステージに行くと決めるだけでよいのです。 怖がっている自分を楽しみたいなら、「次に行きたい」などと言うのは、嘘つき呼ばわりされるだけです。

とことん自分に正直に生きるほうが、むしろすがすがしいのかもしれません(笑)


結論ですが、「怖がり」というのは、苦しいことをするのを怖れている人ではなくて、苦しいままの場所に居たいのに、それを誤魔化してそこから出たいという人のことだと言えるのではと、私は思っています。(むかついた人がいたら、スミマセン!笑)
「怖がりさん」のあなたも、仲間と一緒にバンジージャンプしてみませんか?笑
一人ではできないことも、魂の仲間に出会うことで共に乗り越えていくことができるかもしれません。心の奥で「行きたい!」の声が聴こえたあなた、お待ちしています♬(飛行機の手配などがありますので、お急ぎください!!)


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