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自分が一人になる時間を持つという事、そして自分が心からやりたいことをやるという事・・普段の私が難なく手にしていたこれらの時間を持つ事が、どれほど自分に必要なのかが本当にわかった3週間を過ごしました。

妊娠悪阻でかなり具合の悪い娘と、イヤイヤ期真っ盛りに加え、一切昼寝をしないパワフルな孫の世話をする事は、夫婦二人の静かな暮らしで甘やかされていた私には、ある意味苦行でした(笑)

孫は本当に可愛いし、大切な娘が苦しんでいる様子を見ると、もちろん出来る限りの事をしてあげたいと思うのだけれど、一度子育てを終えた身としては、精神的には想像以上のプレッシャーの中での毎日を過ごすこととなりました。

睡眠時間を削れば、なんとかブログを書いたりもできたのかもしれませんが、家事と育児というアウトプットでアップアップしてしまって、「書くこと」のような創造性を要する作業をするエネルギーは枯渇していました(苦笑)

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私には2歳と3歳差の3人の子供がいたので、これ以上の忙しさの生活をおよそ十数年していたはずなのに、なぜ当時そんなことができていたのだろうと思うほど、私は家事や育児に喜びを見出すタイプではなかったことが改めてわかりました。

私の友人の中には、心から育児が大好きな人もいて、若い頃は4人の子供に加え、近所の子供の世話も焼き、現在でも複数の孫の世話を嬉々としてやっている人もいます。なので、女性の仕事と言われている家事や育児にも、間違いなく向き不向き、好き嫌いがあるのだと確信するに至りました。

そんなこと、3人も子供を産む前にわからなかったのか?と問われるなら、「子供は多い方がよいと思っていた」「自分は子供が好きだと思っていた」と答えるしかありません。

しかし、もしもう一度人生をやり直すなら、多分私は子供は産んでも一人、子供を持たない人生もありかもと思ってしまいます。もちろん、現在の人生で縁があり、私の元に来てくれた子供達は心から愛していますし、会えてよかったと思っていますが、そういう話ではないのです。

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前述の、子供と過ごすことを心から愛している友人の姿を見ていると、間違いなくすべての事には向き不向きがあるのだということ、そしてその人の才能を発揮する人生を送るためには、女性であるから産むとか、子供を持つことで家族を作るのが当たり前だというような、社会や親から刷り込まれた信念体系の中での常識から、とことん自由になることが必要なのだとわかります。

実は私は、結構子供が好きなのです。しかしそれは、子供を産み育てるという物理的な作業をすることよりも、彼らの魂の光を見ることであったり、子供達が持って生まれてきた才能を発揮することのお手伝いをすることであったりと、「母」である事とは少し違った現れ方の「好き」なのだということに気付いています。

お堅い体制が苦手なので、学校の先生になるとかは無理だっただろうと思いますが(笑)、これまで携わってきた塾の講師や英語の講師などの仕事は、ある意味私には向いていたのだなと感じます。

しかし私は、毎週決まった時間に仕事をするという枠組みがとことん苦手なので、塾や英語教室でさえ、結果として手放してしまいましたが(笑)、今でもよそ様のお子さん達の魂の光に触れる事、彼らを理解すること、励ますことなどは、多分他の人よりは得意なような気がしています。

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今回久しぶりに、「私しかやる人がいない」という設定の中で、家事・育児に自分の時間のほとんどを割くという生活をしてみたことで、過去のさまざまな苦しみの感情や葛藤を思い出し、再体験し、それをこれまでとは違う視点で見るという経験をしました。

大きく地球のエネルギーがシフトしている真っ最中に起こった一連の出来事は、もちろん単なる偶然ではなく、今の私に必要な気づきが訪れるためのプロセスだったのでしょう。

そしてそれは同時に、シフトした意識で過去の追体験をするということでもあり、過去の私が見えていなかったことを理解し、当時未熟な母であった私のせいで作ってしまった娘のトラウマをリリースする、貴重な機会ともなりました。

時の流れは、とことん自分との対話を要しています。自分が何者であるか、何のために今ここに存在しているか、自分の創造性はどのように発揮されるのがベストか・・などなど、もう見るべきことに目を瞑って進むことは難しい時間の中に私達はいます。

子供が大変な時には少しでも力になってあげたい、という親としての強い思いは、自分の中には確かにありましたが、それでも私自身はもうそれだけで生きていくのは無理なのだという事も、今回は深く感じました。

この期間に前から予定していた仕事や集まりがいくつかあり、その時は主婦業と育児からしばらく離れる時間を持ったのですが、自分が在りたい自分というのが、どのような形で表わされるのか本当によくわかりました。

このような気づきや、実際の体験は、私だけでなく今多くの人達に起こっているような気がします。

そしてまた、「ねばならない」ことは、この世には多分何もないのだと思うのです。今回の孫達のお世話も、私の中でどこかに「してあげたい」の願望があったことが現実化していたのでしょう。私は自分がどこかで主体的に、この体験を選び取っていたのを感じるからです。

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とは言え、これからの私は、自分が自分を最高に生かす為、本当にそう在りたいように生きることを、更に自分に完全に許可して生きていきたいと思います。「苦しいのに我慢してやらなくてはならない」事をすることは、もう今の地球の波長には合いません。

ともすれば「自己犠牲」になりそうだった今回の出来事は、ところどころで自分の気持ちと向き合い、それを家族と分かち合うという機会を得ることとなり、私にとっては大きな収穫にもなりました。

しかし、積極的にやりたい事ではないはずの出来事を呼び寄せたことは、これからの私の人生にはもう必要ないと言い切れる自分になりたいとも同時に思いました。

普段遠方に住んでいる娘と孫と、どっぷり触れ合う事のできた貴重な時間は宝物のような思い出になりました。でも、それがどこかで「苦しかった」自分がいたのは紛れもない事実なので、そこから目を背けずに、今の私が何を本当に望んでいるか、どう在りたいかを、しっかり認識して生きていく自分でありたいと願っています。


「書く」ことと「話す」ことによるアウトプットは、私が私であるために欠くことのできない要素だということを忘れずにいようと思います。こうして久しぶりにブログを書ける時間と心のゆとりを得て、私は幸せで満たされているのを感じています。

いつも読んで下さっている皆様、本当にありがとうございます。こうして共有させて頂いた時間が、皆様へと何か少しでも還元されるものになることを願うばかりです。



先日、弥勒力WSチームの面々が東京で集まり交流しました。

皆さん、明るくてパワフルな方達ばかりで、初対面の方達とも尽きる事のない深い話をさせて頂き、延々と幸せな時間が過ぎていきました。

弥勒力WSで深める「働き方改革」とは、「自分の個性を生かしてそれぞれが生きる」ことへの確実なステップです。

「仕事」とは「生きること」そのものであり、「我慢して何かを得る手段」ではありません。

大きな変革の年でもある今年最後の月に、「我慢」や「妥協」ではなく、「最高の自分を生かす」ための仕事で生きる決意を固めるために、ぜひ「弥勒力ワークショップ」にいらして下さい!



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