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飛行機に乗った時に流れる、緊急の際の酸素マスクに関するアナウンスに、こういうものがあるのを聞いたことはないでしょうか。

「必ずご自身のマスクをお着けになってから他の方のお手伝いをなさってください」

これは、小さな子供がいる場合も、体の不自由な人の補助をしている場合でも、そうして下さいということらしいです。

緊急時に、酸素が薄くなるかもしれないという場合には、隣に自分の愛しい子供が座っていたら、まずその子にマスクをつけてあげたくなるのが親心でしょう。

それでも、アナウンスが注意しているのは「まず自分に!」着けてくださいということです。

なぜなら、もし途中で自分が酸欠で倒れてしまったならば、子供に酸素マスクをつけることも叶わなくなってしまうからです。(はい、共倒れになります)

自分がちゃんとマスクをつけて酸素が供給されているならば、もし隣の人に何か異変があっても、ちゃんと対処できますが、自分が先に気を失ってしまっては、それさえできなくなるのです。

すべての事はこういうことなのだと、繰り返し伝えられてきます。

「まず自分を愛する」ということなのです。

「まず自分を満たす」ということなのです。

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今、里帰りで一緒に暮らしている2歳の孫娘を見ていると、それは人間の本能でもあるのだなといつも感じます。

孫娘は、自分がたっぷりおやつをもらっていて、それを嬉しそうに食べている時は、私が横から「ばぁばにも一口ちょうだい?」と頼んでも、にっこり笑って分けてくれます。

しかし、そのおやつの数が少ない時には、「だめ~!」と言って、一口さえくれません(笑)

娘が子育てで悩んでいることの一つに、お友達とのおもちゃの貸し借りの事があるということを聞いたのですが、子供は自分がまだ遊ぶのを満足していない時に、そのおもちゃを他の子に貸してあげることなんてできないのです。

「それを、お友達にも貸してあげなさい!」と、その子の親の手前もあるのでしょうが、自分の子供に我慢させようとする親が多いのではと思います。

私達は、学校でも同じように、そういうことを重ねて教えられ続けて、「自分より相手を優先させる」ことが素晴らしいことなのだという生き方を刷り込まれてきました。

それができない人は「我儘な人」とレッテルを張られ、後ろ指をさされることもあります。

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今でも私が覚えているのは、小学校の5・6年生の担任が、いつも私達に輪唱させていた達筆で書かれていたクラスの標語です。

「ひとの気持になって考える」

それは確かに、とても素晴らしいことなのですが、元々敏感で人の気持ちを慮るタイプの人にとっては、「自分よりまず他人の気持ちを考えなさい」という風に、必要以上に自分の要求を遠ざけ、人がどう思うかを優先させて生きる人生へと導きます。

今になって思い出すのですが、この時の中年の男性教師はいつも不機嫌でした。

クラスで勉強のできるタイプ、俗にいう頭の良いタイプを、憎んでいるところがありました。

出来ない子を苛める教師ならわかるのですが、出来る子にねちねち嫌味を言って、苛める人でした。

もう40年も経って、今私がわかるのは、彼は自分の人生に満足していなかった人なのだろうな~という事です。

多分、自分自身が頭が良くて勉強もできたのに、自分の夢を叶えるよりも、親の気持ちに従って、安定の小学校教師という職業に就いたのでは?と感じます。

「ひとの気持ちになって考え」て、自分の人生を後回しにした人のような気がします。

彼の奥さんは、子供が好きで小学校の教師になったのが子供からも見える女性だったので、私は、ほんの数回しか会ったことのない、この奥さんの方が好きでした。

2年間も担任をしてもらったのに、同じ町内に住んでいたのに、私はこの男性教師が亡くなったことを知っても、お参りに行く気持ちになれなかったのを覚えています。

なぜなら彼は、自分の不機嫌を、2年間もの間私達生徒に垂れ流してきたからです。

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同じようなことが、多くの家庭でも起こっているような気がします。

私の育った家庭でもそうでしたが、親は自分が満たされていない状態のままで、自己犠牲のもとに子育てをします。

そして子供も、たとえそれが無意識レベルであっても、「自分を犠牲にして生きることは正しい」という無言の教えを身につけます。

なぜなら、大好きな親がそれをしているのだから・・それも自分のためにそうしてくれているのだから、自分もそのように生きなくてはならない、と自分を戒めます。

その悲しい教えの連鎖が、さまざまな苦しい問題を生み出します。

私自身も家庭を持って、子供を育て始めて、その無意識の連鎖の中で十数年を生きてしまいました。

男尊女卑の封建的な家庭で育った夫と、舅姑の期待に応える嫁を生きていた時は、ものすごいストレスを溜めていました。

そのはけ口は、当時、我が子に向かっていたように思います。

本当に申し訳ないことをしたと思っています。それは、あの小学校の教師が、私達にやっていたのと同じ事です。

それからさまざまな人生の変遷を経て、私は「まず自分を満たすこと」をできるだけ優先して生きるようになりました。

あれだけ大きかった人生のストレスは激減し、昔の私が信じられないような幸福の中で生きています。

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しかし現在、スパイラルタイムの中に入ったことで、時折浮かび上がってくる、出来事に対する「自分の反応」に驚くことがこのところ増えています。

逆にいうと、その葛藤を最終的にマスターするための、それは出来事と反応とも言えるでしょう。

その「出来事で反応が起こる」根幹を探って行くと、そこに横たわっているのが「まず自分を満たす」ことをしてこなかった過去の自分の在り方だということがわかります。

私の根源的なその「まず自分を満たさずにいた」ことは、実の親との間に起こっていたことだという事に改めて気が付きました。

なぜなら、「親の為に生きた自分」で、人生のほとんどを過ごしてきたからです。

それでもその肝心の親たちは、いまだに幸せではないのです。そして自分が幸せでないことを、他に責任転嫁して文句を垂れ流しながら生きています。

「親が幸せになるために自己犠牲したこと」が、決してその成果を得なかったことに対する絶望感と、怒りと悲しみが、そこに横たわっているのです。

「本当になりたかった自分」ではなく、「親が喜ぶために生きた自分」がそこにはいるのです。

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人生における課題、葛藤という形で私達の中に残っているものをマスターするための大きなヒントの一つとして、「まず自分を満たす」ことは信じられない程大切なことです。

「我慢することはすばらしいこと」と私達に教えてきた人達の、不機嫌で不幸せそうな顔を思い出して見ると、そのことが実感を伴ってわかるのではと思います。

「我儘」を英語で言うと「selfish セルフィッシュ」
「自分を一番にする」は「self first セルフ・ファースト」

アメリカ英語で発音すると、この二つはとても良く似ています。

すべての人が
「self first セルフ・ファースト」で生きる時、世の中は我儘な人で満ちるのではなく、皆が「自分を一番にする」ことで満たされて、他の人にもその幸せを渡す人になるのだと思うのです。




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