*これまで当たり前だと思っていたことに、どんどん違和感を感じ始める。

*まるでコップの中の水が一杯になってしまったみたいに、たった一滴の「何か」がそこに注がれただけで、水があふれ出してしまうように感情が溢れ、抑制が効かなくなってしまう。

*自分が愛して止まないとずっと思ってきた人、自分を愛してくれていると思っていた人、そのどちらもが実は「愛」ではなくて「執着」であったという幻想に気が付いてしまう。

これらのような事が、自分の世界で起こっている人が増えているのではないかと思います。

もしくは、そのことに気が付いてしまっては、自分がこれまで生きてきた世界が崩壊してしまうことを感じ取っていて、無理やりそのことに蓋をして、その「気づき」に気づかないふりをしているけれども苦しくてならない人もいるのではないかと思います。

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これらの全ては、実は私自身にも起こったことです。

「気づき」が見えないように蓋をするのは、遥か遠い昔、物心ついた時からやっていたことであり、それは「生きる」ために選び取った、サバイバルのための戦略でした。

子供の時の自分が選び取った「戦略」は、大人になってからも続くのが普通です。

親と子という間柄は、子が大人と呼ばれるようになってからも、決してなくならないからです。


これまで、リーディングセッションや、ワークショップやセミナーをしてきて、さまざまな悩みや問題、その人が自分自身の力を発揮できない理由の根底には、それが過去世に由来しているものでない限りは、ほぼほぼ全てがこの「子供時代に身につけた戦略」が存在しているのを見てきました。

平たく言うと、それは「親との関係性」に由来しているということです。

これまで書いてきた「毒親」という観点は、それのエキセントリックなパターンですが、毒親と名付けられるほどの「被害を被っている」という意識がない人であっても、子供の頃に親との間につくられた関係性は、本当にその人の生きる「信念」や「戦略」を生み出しており、あたかもそれが「真実」であるような錯覚を持ったまま、「自分を生きている」と信じている人が多いように見受けます。

それに気が付くには、自分以外の人の視点から語られる「自分」について、素直に耳を傾けてみることです。

人は、自分の事はなかなかよくわからないのですが、他人のことはよく見えるものです。

偏見や利害関係のない人からの率直な意見は、時には核心をついてくるので、聞かされると多分自分の中に「反応」が起こります。(「反応」とは、自分の中から湧いてくる反発であったり、ショックを受けるような驚きであったり、怒りやイラつきであることが多いでしょう)

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私の場合で言うと、その「核心を突く観察からの意見」は、夫と子供、そして私の真実を見てくれている親しい友人からの言葉がそうでした。

彼らの目に見える「私と親との関係性」と、私が感じていたそれとは、全く違っていたのです。

私が「親から受けている愛」と認識していたものは、彼らからは「私を利用している親のエゴ」でしかありませんでした。

もちろん、そこに親の愛がないと言い切るのではありません。

それは私達が心の奥底で定義している「親からの愛」、つまり「無償の愛」ではなく、「条件付きの愛」でしかないということなのです。


私達は実は、深いところではそれを知っているのです。

でもそれを知ることは、子供であった自分にとっては苦しすぎることだったので、真実を見る目にフィルターを掛けて、「条件付きの愛(自己愛)」でしかない親の愛は、「無償の愛」なのだと思い込みたい自分がいたのです。

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今私の元には、里帰り出産の為に帰省している娘の長子である、来月3歳になる孫娘が一緒に住んでいます。

彼女を毎日観察していると、そのことが本当によくわかるのです。

家に一人小さな子供がいるせいで、外に出た時にも、自ずと他の小さな子供に目が行きます。

ほんの2~3歳で、子供達はもう親や周囲の大人たちから愛されるための戦略を身につけ始めているのを目の当たりにします。

そして5歳くらいになると、その戦略がその子の人格に影響を及ぼしているのがはっきりと見て取れます。

天真爛漫な子供らしい子供は、平気で我儘を言うのです。

しかし、その我儘を既に封じ込められた「おりこうさんの子供達」が、既に彼らの目の光を曇らせているのを見ると胸が痛みます。

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元祖「おりこうさんの子供」であった私は、とうとう親からは「親不孝な娘」のレッテルを張られる場所へと入りました。

しかし、そうでもしない限りは、私は自分のパワー(力)を取り戻すことができなかったのです。

あまりにも長い間分厚いフィルターを自分の目に掛けて生きてきてしまったので、そのフィルターが不可抗力で外れてきてしまったショックが大きすぎて、振り子が反対側に大きく揺れるのを許可しなくてはならなかったのです。


そして、親の真実を見ないように自分に掛けてきたその「フィルター」は、親だけではなく他の人々を見る時にもその効力を発揮していたようでした。

「自分は黒が80%で白が20%の人間だよ」と自称する娘からは、私は黒白を正反対に見ていた人間だと揶揄されてきました。(そう自称する人が、そうであるとは私は思いませんが・・笑)

それは、とことん親のことを「自分を愛してくれる素晴らしい人」だと思いたかった私の願望がなせる業であり、私が子供の時から使ってきた「戦略」だったのです。

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そのフィルターは、実は私のジャッジメントを作りだしていたとも言えます。

「白がよくて、黒が悪い」と思っている私がいるということだからです。

言い換えると、「光りは素晴らしく、闇は素晴らしくない」ということでしょうか。

そして、それは真実ではありません。なぜなら「闇は光の不在」でしかないからです。

つまりそこには、「良い・悪い」は存在しないということだからです。


そして更に、「おりこうな子供として生きること」を戦略としてきた私にとっては、「不幸な親」が存在しているということは、「親を幸せにできなかったダメな自分」がそこにいるということになっていた訳です。

それは、とことん私のパワーを奪う考えでした。

「親の期待に応えられなかった自分」や、「親を幸せにできなかった自分」は、究極「生きている価値のない人間」であると、深い場所で自分が自分をジャッジしてしまうからです。

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私達が、何をどうやっても、親は決して変わりません。

なぜなら、人は自分自身がそれを自分に許可しない限り、変容はしないからです。


自分のパワーを取り戻す時がやってきています。

3次元の世界では紛れていることができたその「フィルター」の存在は、5次元の世界ではクリアに浮かび上がってきます。


*自分の「違和感」に敏感でいて下さい。それを決して無視しないで下さい。

*自分の中からあふれ出してくる感情を、もう決して抑え込まないで下さい。

*「条件付きの愛」に自分を投げ出さないで下さい。それはあなたのパワーを奪っていきます。


自分で自分の目を塞がない限り、私達が生きているこの世界にもう秘密は存在できないのです。

私達は、いつでも「真実」と共に生きるしかないのです。







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