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昨年、この可愛らしい三つ子ちゃんのうちの一人が、実の母親によって命を奪われてしまうという悲惨な事件が起こりました。

そして、そのお母さんに対しての執行猶予なしの実刑判決が出たというニュースに対して、執行猶予付きの判決を求めるという署名運動が起こっています。

詳しくはこちらを読んで下さい
豊田市のみつご虐待死事件の母親が子育てしながら罪を償えるように、執行猶予を求めます!

普段はどちらかというと、署名運動に参加するのは慎重な私なのですが、これには署名させてもらいました。

なぜなら、一人で三つ子を育てていたというこのお母さんの当時の状況を想像すると、それがどんなに許されない事であると言われても、私は同情の涙を流さずにはいられないからです。

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私自身も3人の子供を持つ母ですが、自分の人生で一番辛かった時期はいつか?と問われるならば、ちょうど2歳違いだった上の二人を、実家から離れた場所でワンオペで育てていた時だと答えます。

当時の私は、今とは全く違って、専業主婦の母親が基本すべての育児をするものだと思っていたので、夫に甘えたり愚痴を言ったりも全くしていませんでした。

二番目の子のアトピーがひどかったのもあり、母乳の成分に気を遣い、好きな食べ物も我慢していたりもしました。

母乳のせいもあったのでしょうが、上の子も下の子も、夜中の授乳の回数はかなり多かった時期の苦しさは忘れられません。

この三つ子のお母さんが、睡眠不足と疲れで、どれほど朦朧としていたのか、そして鬱の状態だったろうことは想像に難くありません。

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少し前に、二ヶ月半ほど、祖母として里帰り出産した娘の育児のサポートを体験しました。

今回は祖父になった夫も協力的だったので、三人の大人で3歳児と赤ん坊の面倒を見ていたにも関わらず、赤ちゃん返りが酷くて泣き叫ぶことの多かった孫と四六時中一緒にいるのは、本当に大変でした。

私は自分の仕事もほぼほぼ休みにして、彼女たちのサポートを最優先していたのですが、逆にそのことが仇となって、昔ワンオペで育児をしていた頃のトラウマが蘇りました。

元々、子供の面倒を見るのがそこまで好きなタイプではない私なので、育児は自分が生きがいを感じる創造性を発揮する時間ではなかったようです。

なので、やりたいことがほとんどできず、睡眠時間を削ってブログを書いたりして気を紛らせていた状態だったので、どんどん私は落ち込んでいきました。

仲の良い友人から、「えみこさん、鬱だったよ」と言われてしまったほど、母親ではなく祖母なのに、私までかなり精神状態が不安定だったなと思います。

人間は創造性を発揮して生きることができない時、そのエネルギーを自分に向けてしまい、それが鬱状態を引き起こすと言われています。

思い返すと、私が英語の勉強を真剣に始めたのは、二番目の子が生まれて半年の時でした。

人生で一番忙しくて辛かった時に、なぜ英語の勉強を始めたのか?と自分でも不思議でしたが(英語の勉強は、その後20年程続けました)、無意識に自分の「創造性」を求めた結果、選び取った「学び」だったのだなとわかります。

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そして、冒頭の三つ子の一人を床にたたきつけてしまったというお母さんの話です。

私も似たようなことをやった記憶がありますが、それは「ベッドの上に赤ちゃんを転がしてしまう」という、どこか安全装置がかかった苦しみの発散でした。

もしそれを、衝動的に床にやってしまったならば、子供の命を奪うことも起こり得たわけです。

同じようなことをしてしまったことのある母親は、多分多いのではと思います。

仕事をしながら育児をするというのも、確かに大変だとは思いますが、少なくとも子供と離れる時間があるのは、救いだと私は感じます。

実の所、周りや親のサポートのない専業主婦が一番苦しいのでは?と私は思うのです。

記憶にあるのですが、少し子供がおしゃべりするようになった頃、その頃は転勤先でまだ親しく行き来する友人もおらず、夫が帰ってきた時点で「今日私は、我が子以外の誰とも話していない。大人と会話していない!」と思ったことが何度もありました。

大人と話したい!と思っても、その頃TVゲームにはまっていた夫は、帰宅後もろくに会話をしてくれませんでした。

英語の勉強(と言っても、ウォークマンで家事をしながら英語をながら聞きしていただけですが・・)に、自分の行き場のない思いを乗せていたのだななと、今ならわかります。

あの頃の事を思い出すと、この三つ子のお母さんの苦しさはいかばかりかと思うのです。

年が二歳離れた二人の育児でも辛かったのに、三つ子を一人で育てるなんて、どれほどの自己犠牲だろうと思います。

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こういう事件が起こり、それが社会に何らかの影響を及ぼす時というのは、この小さな尊い命の犠牲が、人々の気づきを促し、社会に「共感すること」と「助け合うこと」を問うためでもあると思うのです。

小さな命を奪ったという事のみを責めるのではなく、その背後に何があったのかを、皆で考え、対策を講じていく事が為されてもよいと思うのです。

人間は過ちを犯す生き物です。過ちを犯したことのない人など存在しないはずです。

司法に携わる人や、子供を一人きりで育てたことのない人には、共感することができないかもしれない事例ですが、同じような苦しみを味わった人達が声を上げることは、とても意味があると思います。

今回、悲しい過ちを犯してしまった一人のお母さんの事を本気で考えることで、これから起こるかもしれない悲しい出来事が減る可能性があると思うのです。

また、子供を育てるという根本的なことについて、「母親ならだれでも・・」という母性神話のようなものを手放し、子育てに対する適性について、社会が本当に根本から考えて行く時が来ているような気がします。

子供は可愛いです。しかし、すべての人が、自分の人生を捧げて喜びで子育てをできるというのは、神話でしかないと思います。

この悲しい事件を、ただ一人のお母さんを罪に問うという事で終わらせないで、たくさんの人が考える機会になればと思いました。

署名の発起人の方も、ご自身が三つ子をお持ちの方のようです。

経験に基づく心からの発言であっても、悲しいことに、彼女を糾弾する厳しい意見はあるようです。

誰かを糾弾するという事は分離を引き起こします。

分離ではなく、愛を持って物事を見る時、司法では断罪できない出来事というものもあるのではと感じるのです。

小さな行動ですが、友人のFBの投稿でこのことを知り、私も署名をさせてもらいました。

もしこのお母さんに、他の二人のお子さんを育てながら罪と向き合って行って欲しいと感じる方がいらしたら、ぜひ署名のサイトをお読みになって頂けたらと思います。

もう一度リンクを張っておきます
豊田市のみつご虐待死事件の母親が子育てしながら罪を償えるように、執行猶予を求めます!


もう二度と、こういう悲しい事件が起こらない世の中になることを、心から願うばかりです。


※昨日付のネットニュースに、このお母さんからのコメントが載せられていましたので追記します
三つ子の傷害致死罪で実刑判決、母親がコメント「子どもたち、抱きしめることができました」




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