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今朝、私の目に飛び込んできたのは、友人がシェアしていた↑画像だった。

「訳:誰かと違う周波数に存在するということは、あなたが何を言おうとも、その人はあなたの言っていることが聴こえない、という事であったりする。」

このところ私の中で起こっていたことに対して、それは明快な答えだった。

ずっと前からわかっていたことなのに、私の中で「言っていることが伝わらない」ことへの悲しさと、諦められない執着が尾を引いていた諸々のことに対して、それは天啓のように響いたのだ。


繰り返し繰り返し起こる事象・・それは自分のパターンだと知っていても、パターンだからこそ、根深く手放し難く、それを握りしめていることで悲しさを味わって、その自己憐憫の中にいる自分がいた。

諦めきれないということは、諦めたくないということだったと今更のようにわかるのだけれど、それは自分のエゴでしかないことにギブアップする時が来ているようだ。

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私は、母親のような愛が得意な人間なのだと思う。

それは、美しいという形容もされるだろうけれど、実は業の深い在り方でもある。

母は守る。母は包む。母は心配する。母は惜しみなく注ぐ。母は決して諦めない。

これらは人間の美しい性質なのだと言えるかもしれないけれど、使い方を間違えては駄目なのだ。


惜しみなく注ぐ愛は、ある時が来たら「透明」にしなくてはならない。

こちらから注ぎ続けていても、相手に見えないようにしなくてはならないのだ。

それは、自分自身の手ごたえがなくなることであるし、相手からの反応が来ない事でもあるし、時には人間形態での断絶を意味することでもあるかもしれない。


それでもよいのだ。

そしてそれが無償の愛だ。


たとえそれが自分の親であっても、母のような愛を注ぐことは可能なのだと思う。

なぜなら、無償の愛というのは、すべてのものに対して存在することができるものなのだから。

今はもう会う事がなくなった幼馴染や、思春期を共に過ごした友、大人になってからの時間を共有した人々・・すべての人達に愛を送ることは、自分だけの意志で可能なのだ。

そう、それはとても容易く、そして自分を幸せにする。

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このところ、自分の発したことへの答えが、ほぼ瞬間的にどこかから答えとして返ってくる。

それは見事な符合というしかなくて、自分の中に響く声に時折は懐疑的な私のようなタイプの人間には、文字や文章や数字、時には人からの言葉という形で現れるので、疑いようがない。

ギブアップする時が来ているのだ。

もう迷っている時ではないのだ。


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自分の中に響く声を、ダイレクトにキーボードに打つときには、私はこうして文章のモードが変わる。

それもよし、あれもよし、ということで、なんだかキツイ書き方に感じる方がいたらごめんなさい。

これからも、その日の気分で書き方変えます(笑)

私のブログを読んで下さる方は、基本左脳系の方が多いのかなと思うのだけれど、左脳と右脳はバランスをとってナンボなので、書き方は左脳系でも内容は右脳系・・というマイワールドをどうぞお楽しみ下さい(笑)

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英語を学んでいた時に、ある名物先生がいつも片手に持っていたのが、エーリヒ・フロムの「The Art of Loving」だったことをふと思い出す。

そして、私が一番好きな映画は「Love Actually」

愛はいつも、そしてこれからも私のテーマなんだな~と、改めて思う。


ヘタレな呟きをいつも読んで下さってありがとう。