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私達は子供の頃から「あきらめてはいけない!」「努力は必ず身を結ぶ!」と、親や教師やコーチなどから叱咤激励されてきました。

しかし、本当にそうなのでしょうか?

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昔、私の親友だった女性は、「Never, never, never, give up!(決して、決して、決して、あきらめるな)」というウィンストン・チャーチルの名言を自分の決意として私に伝えて、癌の闘病のために入院しました。

彼女は10カ月の闘病の後に亡くなりました。

亡くなる4日前に私は彼女に呼ばれて会う事ができたのですが、すべてを諦めて、すべてを手放した彼女の微笑みはまるで観音菩薩のようで、今なら彼女がその時「覚醒していた」のだとわかります。

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諦めるのが難しいことの一番のものには、「愛する家族に対する期待」があると思います。

そうです、親が子供に持つ「期待」です。

夫婦の片方が、もう片方に持つ「期待」です。

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親子の場合には、親の期待が、子供が人生で成し遂げたい本当の望みを封印することへと導かれます。

良い子であればあるほど、それが起こります。

もしくは、親の期待を跳ね飛ばそうとする「やんちゃ坊」は、そうするために不良になったりして、反対の意味で、自分の望みを生きる人生から離れていきます。

そしてそれはやがて、子供が親に持つ「期待」へと変化します。

いつか自分の事をわかってくれるのかもしれないという、多分ほぼ訪れることのない未来への期待です。

「期待の親子間の連鎖」とでもいうように、やがて親の期待を生きた人は、自分もまた子供に期待する親になっていきます。

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夫婦の間にそれが起こる時には、「わかってほしい」や「こうなってほしい」は、やがてそうならないことへの失望へと変わります。

反対側では、期待をかけられた夫(妻)は、そのままの自分を受け入れてもらえない事に失望し、夫婦の間に隙間風が吹き始めます。

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この世の「苦しさ」の奥には、良いこととされてきた「諦めない!」が、全く正反対の作用をして鎮座していることに気付きます。

「諦めること」は、自分が自分に諦めてしまったことがある人ほど、自分以外の人にそれを被せて期待します。

「期待する人」は、自分自身が成し遂げられなかった事を「諦められない人」が、他人に転嫁することが多いのです。
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『あきらめる』という言葉の響きには、敗北者であるような悲しい音が交ざります。

でも、本当にそうなのでしょうか?と、今一度問いかけてみたいと思うのです。


すべてを諦めた私の親友は、死ぬことの怖れなどみじんも持たない慈愛の微笑みで、この世を去りました。

死ぬ前に私に会いたかったのではなく、私のために、もう面会謝絶になって長かったのに、私が彼女に会う機会を作ってくれたのでした。

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うちの娘の友人の一人は、一人娘だという不運もあるのでしょうが、親の期待に押しつぶされて、今現在は仕事もできず心の病で苦しんでいます。

彼女の親は、超一流大学を目指せと叱咤激励し、そうできなかった娘に、今度は世間的に素晴らしいとみなされる職業に付けとプレッシャーを与え、その結果その仕事に就いた彼女は、心の病を悪化させてその仕事も辞めました。

彼女のお父さんは、ある超一流私大の卒業生で、世間的には立派なお仕事をされている方ですが、自分が入りたかった超一流国立大学に、本当は娘を入れたかったのでした。

私はその娘さんに何度か会ったことがあるのですが、俗にいう「お勉強」が似合わない、本質はとても明るくて可愛らしい娘さんです。

その可愛らしさ、天真爛漫さを伸ばして、自分の興味に従って何かを学んでいたならば、全く違う未来が開けていたのにと感じるのですが、今の彼女は自分自身を生きておらず、その笑顔もあまり見ることができません。

お父さんが、自分が成し遂げなかったことを諦められなかったばかりに、大切な娘さんの人生が今閉ざされています。

とても残念に思うのですが、もう大人になった彼女自身に対しては、親の期待に応えることを諦めて欲しいと願うばかりです。

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本当に諦めてはいけないことは、多分ただ一つだけなのだと思います。

それは「自分自身を生きること」だと私は思うのです。


誰かの期待に応えることを諦める。

愛する人が自分の期待通りになることを諦める。


この大きな二つを諦めることで得られることは、ただ「自分自身を生きる」ことになるのではと思うのです。

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そして逆説的なのですが、何かを諦めると、諦めていた別の何かが手に入ります。

私自身に起こったのは以下です。

決して手に入らないと思っていた「やりたいことをやりたいようにやる人生」を、「夫が望む妻、子供が望む母、でいることを諦めた」ことで手に入れました(笑)

もちろん、夫や子供を大切に思う気持ちや、愛することを止めたわけではありません。

どうしても譲れない「自分のやりたいこと」を大切にすることと、夫が妻に望んでいる「こうであってほしい」ことや、子供が母に望んでいることが相容れなかった為、「自分のやりたいこと」を優先する生き方を自分に許可したのでした。

良い妻、良い母でいることを、諦めました(笑)だって、そうすると自分の心が死んでしまうのがわかったから・・。

そして同時に、子供達に「こうなってほしい」や「こうであってほしい」も、随分手放すことができました。

良い意味で諦めたら、逆に子供達が自分で自分の道を切り開く人生を歩み始めました。

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実は夫に関しては、まだ今も「諦めきれない」ものが自分の中にあることに、今朝気付いたのでした。

親子の縁は切れませんが、夫婦の縁は紙一枚で繋がっているものなので(笑)、本気で「諦める」ことはなかなか難しいのだなと、自分を顧みて改めて思ったのでした。

「諦めること」が夫婦の未来を分けていく可能性も起こり得るからです。

これまで何度か、そのチャレンジを超えてきたと思っている私ですが、それでもまだ本当には「諦めていない」のだなと、ようやく気づきました。

なので、自分自身に言い聞かせるためにも、これを今書いています(笑)

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今年も散りゆく桜を惜しんで、きょうのブログは、私の携帯の中に溢れている桜の写真シリーズでした。

桜は、一年のうちのほんの短い期間にしか出会うことはできません。

散りゆく花びらは、まるで私達が何かを手放すことの象徴のようです。

来春もまた桜は開花しますが、それは今年散った桜とは違う「新たに咲く桜」なのです。

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諦めること(=手放すこと)で導かれる未来を信頼し、その流れに委ねたいと思います。

何か心に響くことのある方、是非ご一緒に諦め(=手放し)ませんか?笑





何かを諦めたら、手に入るかもしれません(笑)パワフルなハワイ島のエネルギーの中で、私と一緒に笑って泣いて楽しい時間を過ごしませんか?あなたにお会いできるのを楽しみにしています

ハワイ島リトリート・セミナー開催のお知らせです!(8/30~9/5)

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