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ブッダプログラムの齊藤つうり氏から教わった「ニーバーの祈り」・・このところずっと、この祈りの言葉がすべての答えだなと感じています。

ラインホールド・ニーバーの祈り(短文)

God

grant me the serenity
to accept the things I cannot change,
the courage to change the things I can,
and the wisdom to distinguish the one from the other.

- Niebuhr, Reinhold

主よ、

変えられないものを受け入れる心の静けさと
変えられるものを変える勇気と
その両者を見分ける英知を我に与え給え。

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昨年のお正月が過ぎた頃から、私は母と会うのが辛くてならなくなりました。

そして、こちらからは一切母に連絡を取らなくなってしまったら、何かを勘付いた母も何も言ってこなくなりました。

時折、私の娘達に電話で私の様子を聞いているのは知っていましたが、私は自分の気持ちに正直にいることを決めていました。

私は生まれて初めて、母の日も彼女の誕生日も祝わない一年を過ごしました。


しかし昨年の11月、突然母から私への誕生祝いの食事券が娘経由で送られて来ました。

しかしその時、私の中にはなんとも形容しがたい強い嫌悪感が湧き上がり(それは、母が何もわかっていないのだという失望感と、なんとか私にまたすり寄りたいという甘えた気持ちへの抵抗感だったと今はわかります)、母に自分のこれまでの気持ちを全部手紙に書いて、食事券と共に送り返したのでした。

それは母からすると、彼女を責める内容にしか思えなかったと思います。しかし、私にとっては「心の真実を告げる手紙」でした。

それにどう反応するかは母次第で、私は縁を切るとかそういう事は全く書いてはいませんでした。

しかし母は、娘達には「なんだかよくわからないけど、ママは私の事が全部嫌いなんだって!」と言って、最初は怒り、そして後には自己憐憫に落ち込んで、「実の娘に嫌われる自分はなんて不幸なんだ」と冬の間は体調を崩していたそうでした(苦笑)

わかってはいましたが、私の真実を告げる言葉は、やはり母にはその通りには伝わらないことに失望しました。

それは一言で言うと、自己憐憫の塊である母を、ずっと可哀想な人だと思って労り、励まし、そのことに人生を捧げてきた私が、母との関係性に絶望したということでした。

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母だけでなく、そこには父も絡んでいて、両親に翻弄されて自分を後回しにしてきた私の中の「影」が大反発を起こして、もう潜んではいられなくなった・・という事でしょうか。

四十代の反抗期を経て(その当時は2年ほど母を遠ざけぎみでした)、東日本大震災の後に母とは再び仲良くなりました。

しかしそれ以降も母は何も変わってはいかなくて(それは、彼女の父への怒りに端を発する夫への憤りを自己憐憫に転嫁しているという図式でした)、離婚したいと言いながらせずに過ごしていることで、精神的におかしくなっていきました。

ちょっとした家族の言動から、レストランの真ん中で叫び出したり、今にして思えば、専門家に診せなければいけないレベルになっていた状態の母でした。

その後私は、すべての原因であると思った父との別居の手助けをして、弟たちの協力もあり、無事別居はなされました。

しかしそれも束の間、母はまたもや自分を自己憐憫に陥れさせる出来事を次々と引き起こし、私まで巻き込んできたのでした。

私は、自分が母との共依存状態になっているのは承知していましたが、さまざまな学びを経て、そこから離れる努力をしてきたと思っていました。

それでも、親との関係における「親に愛されたい自分」の問題はあまりにも深く、父との別居で片付くだろうと思っていたことが全く改善されなかったことへの失望感から、今度は私自身が精神的に「やばい」状態になって行ったのです。

本来ならば親へ向けるべき気持ちを、愛されて育っているがゆえに自由気儘に振る舞う可愛い孫や婿さんに投影し始めた自分に気づき、このままでは自分にとって大切なものを失う可能性があることに気付いた時、「親に好かれる」ことを一度完璧に手放そうと思ったのでした。

娘であることよりも、母である自分、妻である自分を優先させて生きたいと強く思ったのでした。

そうして母には「本当の気持ち」を書いた手紙を送り、施設にいる父に対しては、しばらく彼の世話をしないことを決めました。

このことに関しては、夫や娘達が力になってくれ、また弟達も受け入れてくれたことに感謝するばかりです。

「ママはこれまで十分やったから、もこれ以上はやらなくていいよ」と言ってくれる娘達に慰められました。

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その後、母とは一年半、父とは半年、接触しない時間を過ごしたことで、私の心は癒されてゆきました。

自分でも気づかないほど、私の心はずたずたになっていたのだなと、その時間の経過が教えてくれました。

もう自分には孫までいるのに、いつまでもたっても私は、親に対しては「好かれたい子供」でした。

他人だったら二度と会う必要がないと思われるほど酷い事を何度も言われているのに、やはり彼らが愛しく、愛されたいという気持ちが消えない事が、悲しく切ない自分でした。


しかし、自分を癒す時間が十分もらえた事と、この春から前述のブッダプログラムに関わらせてもらっていることで、私の中に変容が起こり始めました。

私自身の自己認識のプロセスが深まって行ったことと、珠玉の祈りの言葉が深く心に沁みてきてことで、私の中の何かが動き始めました。

「変えられないものを受け入れる心の静けさ」・・それこそが、親に対して私が必要とするものだと悟ったのです。

関わることで変容を起こす親というものも存在するでしょうが、「変化したくない」ということを尊重してあげなければならない親もいるのだとわかりました。

そしてそれは、私自身の「諦め」でもありますが、その諦めは「受け入れ」という言葉で言い換えてもよいのだとわかったのでした。


温かい家族のサポートの中、私は母の誕生日をきっかけにして、父と母に会いに行くことを決めました。

まず父に、そして翌日母に会いました。

どちらも、全く何も変わっていませんでした(苦笑)

ただ私がしばらく音沙汰がなかったことに、少しばかり気遣っているような感じでした。

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娘の特権で、なし崩しにこれまでと同じように接することは、すぐにうまく行きました。

しかし、彼らがむしろ親不孝をした私を恨んでいるような状態のままで、お茶を濁すつもりはありませんでした。

父にも母にも、私が彼らに傷つけられたことを正直に伝えました。

それでも私はあなた達が好きだから、こうして会いに来たと伝えました。

それぞれの反応で、それぞれの解釈をしているのがわかりましたが、それはもうどうでもよいと思っていました。

私に会えた事を、二人共喜んでいることはわかりました。それだけでよいと感じる私がいました。


きっとのど元を過ぎたらすぐにまた、彼らは前と同じように自己憐憫の権化となって愚痴をまき散らしたり、理不尽な事を言いだして怒ったりすることでしょう。

とことん、見るべきは自分の中でしかないことを、改めて確認したのでした。

子供へのコントロールを手放すことと長らく向き合ってきましたが、それだけではなく親へのコントロールも手にしていた自分がいたのだとわかりました。

そしてまた、本能ともいえるほど深く、私は親に「良い子」だと思われたかったのだとわかりました。


「変えられないもの」を変えたかった私。

「変えられないもの」が「変わらない」悲しさに絶望した私。

それは滑稽な独り芝居だったのかもしれません。


これからは「変わらないものを受け入れる」自分の心のみにフォーカスしていけたらと願うばかりです。

そして「変えられるものを変える勇気」を持って、変えられるものには諦めることなく向き合って行きたいと思うのです。

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主よ、
変えられないものを受け入れる心の静けさと
変えられるものを変える勇気と
その両者を見分ける英知を我に与え給え。

一番大切なのは「両者を見分ける英知」の部分なのかもしれません。

自分の心がズタボロにならずにいるためには、その英知に触れ続けていなくてはならないのでしょう。

慣れ親しんだ共依存の関係性のエネルギーは、とてつもなく大きいことを知っています。

あっという間に「親に愛されたい子供」に戻る自分に気づけるように、そして私にとっての「本当の自立」が成される為に、この祈りの言葉を繰り返し唱えていこうと思います。






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