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ソアリン・・英語で書くと soaring (舞い上がる・天翔ける)

家族で行ったディズニーシーの新しいアトラクションなのですが、予備知識なしで乗ったら、胸の震えがずっと残るほど感動して、泣いてしまいました。

YouTubeに動画も出ているけれど、空を飛んでいるあの感覚で見る映像とは全くべつのもの。

未体験の方は、ぜひぜひ機会があったら乗ってみて欲しいなと思います。


しかし、うちの家族の感想を聞いてみると、全員が「良かった!」とは言うのですが、その感想の熱さに差がありました。

「泣いた」と言ったのは、私と娘の夫くんだけ。

感性の差、感覚の差、好むものの差・・などなど、色々な個人差はあるのでしょうが、「泣くほど感動した」人には、奥深くにある共通項があるような気がして、そのことを少し考えてみました。

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(東京ディズニーリゾートHPより)

soaring(舞い上がる・天翔ける)・・から私が感じるのは「自由への希求」です。

実は過去に、心の中で同じような「とてつもない自由」を感じた瞬間がありました。

それは、夫と離婚して別の人と一緒になりアメリカに渡ろうと決意した時に感じたものでした。(それは過去の話で、現実は一転しましたよ!念のため。笑)

その時に私が手放そうとしていたのは、役割を生きていた私(妻であること、子供であること、常識人であること、日本人であること・・etc.)でした。(なぜか、母であることを手放す感じはしなかったのが面白いですが・・)

中でも「子供であること」を手放す自由、つまり「親から自由になる」ことに、信じられない程の解放感を味わったことに、自分自身が衝撃を受けたのでした。


生まれ持った性格というものもあるでしょう。同じ親から生まれたのに、親にあまり影響されずに育った末の弟を見る限り、すべてが親のせいだとも思えません。

私の子供達を見ていても個人差があります。私が毒親ぶりを発揮していた頃にも(今はそうではないと願っていますが・・汗)、親の信念体系を取り入れてしまう度合いは、子供によって差があるように見えました。

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家族の中で、私が一番海外に出掛けていくのが好きなのですが、それは単なる風景や文化が変わるということよりも、日本人の集合意識の中にある信念体系に縛られるものを感じる度合いが大きく、そこから離れたい欲求が強いからなのかもしれません。

唯一私と同じく「泣いた」という娘の夫くんは、確かに感性も豊かな人ですが、たぶん縛られることに敏感で、そして海の外に出ていくのが大好きだという共通項があるようにも感じます。

ソアリンというアトラクションでの疑似体験ではあっても、大空を舞い、地球のあちらこちらの雄大な景色の上を飛ぶことで、求めてやまない自由そのものを体感し、そのとてつもない解放感に心が震えたというのが、感動の涙の理由だったのかなと思ったのでした。

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そんなことを考えていた私に、今朝友人からちょっとしたメールが届きました。

そしてそこには、きょうはとても楽しい事をするためにお休みを取ったのだけれど、なんだか気が晴れないということが書かれていました。

その原因は、彼女が今向き合っているテーマの一つである母親との関わりに関係があるようでした。

そのお母さんは、娘が自由に自分の人生を生き生きと楽しみ始めると、それを敏感に察知するかのように、不機嫌なエネルギーをぶつけてくるのです。

これは「毒親あるある」です(笑)

私も数えきれないほど体験してきて、まだ今でもそこから自由になりきれていないテーマです。

そして友人と同じようなタイミングで、私も昨夜「エネルギーバンパイヤ」でもある母親とのやりとりで消耗し、なぜいまだに私はこんなことをしているのだろう?と、改めてこのことについて考えていたのでした。

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友人への返信には、こんなことを書きました。

私達は、「母親」のお腹の中で肉体を育てたのです。彼女達の波長に同調する期間を必ず持って人間になります。それが、母親に対する愛情にもなるけど、反対に愛着にもなるし、破壊的な支配力にもなるんだね。ここから自由な人はほぼいません。

大切なのは、その毒に触れる時、その毒を甘美なものにしてしまわない・・という決意なんだろうね。世界で最愛である人が持っている毒ならば、喜んで飲み込んでしまう自分がいるのだということに意識的にいることだろうね。人類の永遠の課題の一つだと思います(笑


自分で書いて、なるほど~と思いました(笑)

これは決して、親そのものの魂の光、彼らが持つ愛、とは別のことなのだと知っていなくてはいけないと思うのです。

完璧な人間は存在しないのだけれど、子供は親に「完璧」であって欲しいのです。完璧な愛、無償の愛を受け取りたい・・それが子供の、人間の願いでしょう。

さまざまな現実世界のことが、より心地よいものに変容していくのに、最後まで残る親とのざわつきは、私達の中に在る「完全性」への希求、「無償の愛」の具現、といったテーマに関わるがゆえに存在しているのでしょう。

自分の不完全さを受け入れることと、親の不完全さを受け入れることには、多分大きな相関性があるのだろうなと感じています。

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そして自分の「不自由さ」を持てあますがゆえに毒親化している親は、子供の「自由」を阻みます。

子供サイドからは、自分自身を「自由にする」ことだけが、親の毒を中和できる唯一の方法のような気がしています。

「愛」をテーマに持つ人は、毒親と呼ばれる不自由な人達を親に持つことが多いような気がするのは私だけでしょうか。


この世で最も愛しい存在であった親が「不自由である」ことを自ら選択していることをありのままに受け入れ、しかし自分はそこに影響されない人生を生きてよいのだと知る時、私達は本当の愛を知るのかもしれません。




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