「観察する視点」というものを持ち続けると、起きてくることのすべての意味に気付く・・とわかってはいても、出来事に反応してどっぷり感情の沼の中にはまり込むのが人間の常です。
「あ~、私まじでダメだわ!」と繰り返すことにそろそろ疲れてきたのと、「私が何をどうあがいても地球は回る」という真実に気がついたことで、「ま、いいか!」という軽やかな気持ちになれる事がありがたい今日この頃です(笑)
「私達は人間のふりをしたスピリット(霊魂)」というフレーズは、この「観察する視点」で毎日を生きることを容易くしてくれるかもしれません。
つまりは、喜びも苦しみも悲しみも、成功も失敗も後悔も(なんだかネガティブワードの方が多い!笑)、すべては「人間のふり」をしたゲームの一環でしかないのですから、昔懐かしい「人生ゲーム」のように、目一杯味わって楽しんだ方が勝ち!ということなんですよね。
悲しい映画を観たら目一杯悲しいことに浸ればいいし、コメディを観たらゲラゲラ笑って涙を流せばいい。
壮大なSF映画を観て宇宙に思いを馳せるのも最高だし、心霊映画を観てブルブル怖くて震えてもいい。
肝心なのは、「誰」がその「映画」を観ようと決めたかに気付くことなのかもしれません。
スピリットのルールとして、「誰かに連れていかれて無理やりに見せられる映画はない!」ということなのです。
地球は「悲しみのディズニーランドだ」と言った人がいました。
なのでここには、悲しいことの方が溢れているのは当たり前なのです。
しかし、私達にはもう選択肢が用意されています。
「幸せのディズニーランド」で楽しく遊ぶことを、私達は自ら選ぶことができる時がやってきました。
あ、「俺はユニバ派だから!」という方は、本気でテレポーテーションができる時代に入ってきているので、「本当に宇宙に行けるユニバーサルスタジオ」で遊ぶのが良いかもしれませんね(笑)
「地球人として生きるゲーム」を最高に楽しみ機能させるためには、常に「観察者の視点」、つまり「自分はゲームのプレーヤーだ」という視点を持ち続けることが大切なのだと思うのです。
「喜びの映画」を観ていたと思っていたのに、このところ怒りが湧き上がってくる人は、「悲しみの映画館」で見残した映画に後ろ髪を引かれているのかもしれません。
ちゃんと悲しんで、泣いて、怒りを解放して、そこで味わいたかった感情を味わいつくしたら、悲しみの映画館の扉は閉まり、喜びの映画だけに集中して楽しむことができるようになるでしょう。
人生はゲームです。ゲームのプレーヤーであることを忘れず楽しむこと!
それがどんな楽しみ方でも、自分が選んでいるということは忘れずに、映画の面白さや悲しさにどっぷりはまり翻弄されながらも、同時に「観察者の視点」を持ち続けて生きるということが、心からゲームをプレイして人生を全うすることかもしれません。
なんだか難しいと感じる方は、「人生ゲームで破産しても、ゲームが終わったら破産していない自分だよ♪」・・ということを忘れないで生きる!!のがコツです(笑)
「あの世」に持って帰ることができるのは、「この世での体験から何を受け取ったか」だけですからね。
あ~、でもお正月の人生ゲームで最下位になったのは、プチ悔しかった私です(笑)
お知らせ
コメント