2010年12月

久々に断捨離

このところ、やらなければならないことがなかなか終わらなくて、気が落ち着かず、断捨離とはちょっと遠ざかっていました。
 
ようやくそれも無事終わったので、テレビで見逃した「クローズアップ現代」の断捨離特集NHKオンデマンドで見ました。
 
やました先生のコメントがほんの少しだったので、なんだか拍子抜けでしたが、親の遺品を整理されていた方の断捨離の様子は、見ていてとても考えさせられました。
 
私も、夫の両親が残した家が田舎にど~んと残っていて、整理する・・という言葉では無理なほどのさまざまなものがたくさんある押入れに詰まっています。ご丁寧に蔵まであるのです。
 
姑は生前、「私の目の黒いうちは、何もさわらんといて。私が死んだら、あんたの好きにしていいから。」と言っていました。
 
でも、好きにするも何も、実の親ではない人達の家には、思い出の品さえありません。
とりあえず、親戚が集まるときに使う広い居間だけは、夫と二人で早いうちに断捨離しました。
 
そのときには、居間の押入れから、数十本のお酒類がでてきました。
ナポレオンや地酒など、お土産でもらったらしいお酒が、悲しく変色してゴロゴロしていました。
そのとき一緒に片付けをしていた夫の姉夫婦と、十数本ずつまだ飲めそうなものを持って帰りましたが、結局捨てたものが多いです。
 
お酒を飲む義理の息子達がいたのに、そのときに何故分けてあげなかったの?と思いましたが、姑は酒飲みが大嫌いだったので、故意にあげなかったような気もします。(うちの夫はお酒がだめな体質です。)
 
その他には、新品のまま残っていたたくさんの贈答用の食器類の中から、自分の趣味に合うものを選び出したら、全てが私自身が過去に内祝いなどで贈ったものでした!(笑い話みたいですね)
 
正直、家そのものを断捨離したいのが私の本音なので、それ以来その家の整理は進んでいません
 
姑だけではなく、私の母もよく言っていましたが(母は断捨離の本を読んで、今は少し変わりました・・)、「もったいない」を言うことは美徳だという風潮があったと思います。戦争中のことを思うと、ものは捨てられない!と、半分自慢気に言っていました。
 
でも戦争中は、こんなにモノを購入はしていなかったし、できなかったと思います。
入ってくる分については完全に現代モードなのに、出さないところだけ戦時中・・では、家が便秘になってしまうのは無理ありません。
 
断捨離は、まず「捨」から入りますが、それが一通り終われば、次は「断」が大切になります。
自分に不必要なもの、ふさわしくないものは、入ってくるのを「断つ」のです。
そうすれば、もう「捨てる」こともなくなるし、本当の意味で「もったいない」ではなくなるわけです。
 
 
膨大な亡き義父母の遺品を家ごと目の前にして、なすべきことを後回しにしている私達夫婦のことを考えました。
やました先生は、「人間は一馬力だから、今は自分の家のことだけ考えて取り組みなさい。親の家は、ご主人の姉妹のこともあるから、あなただけの責任ではないし、後回しにしても構わないから。」と言ってくださいました。
 
この後回しはあとどれくらい猶予があるのだろうか・・・と、少しうつろになりながら、とりあえず自分の家の断捨離を一度最後までやり遂げようと、気合を入れました。
 
そして、今朝のゴミだしまでの一時間半でゴミ袋3袋!
友人のブログに触発されて、嫁入りのときに母に持たされた、大きな肩パッド入りのカシミヤのロングコートを捨てました。(ドレスを着たときに必要だから・・と言われたけれど、一度も着ませんでした。)
売りに行こうかとも思いましたが、虫食い穴を発見したのと、大きな肩パッドのデザインの古さに、止めました。
高いものだから・・・いつかは着るかもしれないから・・・ずっと見てみぬふりをしていた、「邪魔」な存在だったコート。ちょっとだけ胸が痛みましたが、「今」を生きる自分、未来に必要なものは全て手に入ると信じている自分を、変わりに手にいれたような気がします
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

断捨離セミナー シェア会

一ヶ月前に参加した「断捨離セミナーin金沢」のシェア会が行われました。

やました先生の地元ゆえのラッキーで、普通なら先生なしのシェア会ですが、今回はばっちり最初から最後まで先生も参加くださいました。

石亭での2600円のランチ代金にて、やました先生のセミナーを2時間受けたと同じ♪のお得でした!(旬彩弁当もすご~く美味しかったし


実践中の断捨離についての質疑応答や、TV出演の裏話や笑い話も挟みながら、断捨離の奥義に更に迫りました。


断捨離の上級編としては・・

写真などの断捨離について


写真の旬は、それを撮ってから1週間。撮ったものを見たりシェアしたりして楽しむのはそれくらいの期間。それ以降は、本当に残しておきたいものだけをピックアップする。


思い出が絡んだものは、捨てようとすると辛いので、「捨てる」のではなくて「選ぶ」作業をするのがよい。


すでにアルバムになっているものは、はがしたりするのはハードルが高いので、整理していない写真などから取り掛かる。


賞状やトロフィーなどは、それを見たときに「あの時はよかったな~。それに比べて今は・・」となるものは処分。見たときに幸せになって、また元気がでるものは、保管しておいてもOK。


大きく捨てるような作業は、もうかなり済んだので、次は思い出の品にも取り掛かろうと思っています。



断捨離とは、「自分が楽になるためにする」ものだということです。

「今に生きる」ことを揺さぶるエネルギーを持つものを断っていく作業をすることで、軸がぶれない自分になります。

軸がぶれないということは、「自分の命はどうありたいのか」という土台に立ち、全てにおいて選択を間違えなくなるということです。

「モノ」を主体にする生き方ではなく、「自分」を主体にする。
「他人」を主体にする生き方を選ぶのではなくて、「自分」が主体で心地よく生きることを選び取る。

だから、「命の数だけ断捨離がある」とやました先生はおっしゃいました。

スロースターターの人もいれば、ブルドーザーのように突き進む人もいます。

いずれの場合も、「気付けば動ける→動き出す→動けば変わる」は変わりません。

モノを捨てるという動きが、自分を変化させるところに辿り着くのです。

断捨離は密教の行だとも言えるともおっしゃっていました。
密教の「密」は「うごく」ということだそうです。



何度かやました先生が引用された、森信三氏の言葉に胸を打たれました。


『幸福とは、縁ある人々との人間関係を深く噛みしめて感謝すること』


断捨離という言葉に心惹かれて集まった人達、それ以前にも色んな集いで知り合う事ができた人達とのご縁に、私も同じことを思っていました。

自分が今どれほど幸福であるかに、改めて思いを馳せたひとときでした。


新聞記事に・・

ちょっと別の用事ができてしまって、このところ断捨離はおやすみモード。
 
でも、自分にプレッシャーはかけない!が今の私のモットーなので、これもよしとして日々過ごしています。
 
面白いのは、おやすみしていても、断捨離については色々目に飛び込んでくること。
 
2・3日前の新聞にも、読者投稿欄のその日のピックアップに、断捨離の本を読んだようではない方なのだけど、まさに内容は断捨離そのもののことが書かれていました。
 
すると更に驚く事に、その記事にコメントしてある新聞社の編集者さんが、その投稿記事はまさに『断捨離』ですねと、やました先生と断捨離のことを紹介していたのでした!
 
流行語大賞にもノミネートされていたし、「断捨離」が広辞苑にのる日も近いなと思いました
 
 
もうひとつ、ちょっと感動したことが・・。
 
ぐちゃぐちゃの部屋に住む事をよしとしていた二女が、夢を見たそうです。
 
夢の中で、せっかく綺麗になった部屋を、また誰かにぐちゃぐちゃにされ、彼女は怒りで真っ青になったと・・。
 
「わたし、綺麗な部屋をとても気に入っているんだな~って、自分でも驚いたわ。」とのこと。
 
はい、私も驚きです
 
 
おまけに、「ママ、わたし今回のテスト、予想以上にいいかもしれない。何枚か答案が返ってきたけど、いい点なんだわ~」と娘。
 
私は何のことかと考えていたら、「ママ言ったでしょ。部屋を断捨離したら、成績上がるよ!って。」
 
はぁ~、二女の変わりように、私は驚いてばかりです。
 
本人が自由が好きでぐちゃぐちゃが好き・・だとばかり思っていたのですが、そうではなかったのですねぇ。
 
モノの詰まりは心の詰まり。
 
やました先生がおっしゃっていることは、ホントのホントに本当でした
 
 
 
 
 

自分で目から鱗の断捨離

夫の職場の福利厚生を利用して、半年に映画の券を10~15枚ほど購入しています。
一枚500円と格安なので、夫婦で5枚ずつ分け合い、それ以外は子供達に分けてやったりします。
 
私もそうなのだけど、夫はいつもそれを消化しきれなくて、期限ぎりぎりになって使いがちなのですが、今回は本当に使用期限三日前になって、「もう観たい映画もないから、誰か使って」とのことでした。それも三枚!
 
ところが、高校・大学生の子供達は試験の直前!映画なんか観にいっている場合ではありません。
 
私にでも一週間くらい前にくれれば良かったのに・・と思いながら、私自身の最後の一枚をようやく消化し、使用期限最後の今日にも、用事があったのですが何とかやりくりしてあとひとつでも見ようか・・と算段していました。
 
ところが!私が観ることのできる時間帯で見られそうな映画がない
 つまり、観たい♪と思うのものは一切ないのです。
 
なんとか「これなら我慢して観られるかな~?」と考えたとき、一体私は何やってんだ?!と気付きました。
 
『自分軸』が完全になくなっていました
 モノ軸、つまり「映画の券がもったいない!」で私が観たくもない映画を、貴重な時間を使って観ようとしている自分に気付いたのです。
 
ひゃ~、驚きました
たかが500円の券(二枚は他から貰った分だったので)のために、右往左往している自分を当たり前だと思っていた自分に驚きました。
 
大体、その映画の券を使わなくて勿体ないのは、私ではなく夫なのだし、私が無理して観る必要なんて全然ないわけです。もったいないと思うなら、次から夫が気をつければよいだけのことで、私が尻拭いしては、彼にも学びがないところでした。
 
きっぱりと、映画券を断捨離(?)することにして、その後は私がそのとき本当にしたかった「本屋に立ち寄る事」をしてから家に帰りました。
 
ものすご~く、すっきりして幸せになった自分に、また驚きました
 
断捨離の考えは、本当に日常の隅々で生きるのだなと、改めて思った出来事でした!
 
 
 
 

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