2011年06月

海がきこえる

氷室冴子の「海がきこえる」とその続編を読んだ。

土佐のきらきらと光る海と、東京のネオン、そして遠い青春時代のとても個人的な情景が頭のあちこちでフラッシュバックするような小説だった。

青春時代が懐かしいわけでもなく、ピュアで眩しい主人公達の心情に共感したのでもないのに、読み終わったら涙が止まらなくなった。

どうして涙が出るのかを感じてみた。

どうやら私は、悲しくて泣いているようだった。

いや、悲しいというより切ないのだった。

主人公達が泣いて笑って悩んで生きていたその様は、そのまま私が生きてきたことと同じだった。

同じ出来事が起こったとかそういうわけではない。

ただ私達は、人間としてこうやって生きてきたのだなぁと思ったのだ。

喜びも悲しみも苦しみも憎しみも、妬みもやっかみも羨望も、

それらのすべての感情は、自分が味わいたくてそれらを慈しんで体験してきたのだなぁと、

それをしてきた自分自身が、愛しくて切なくてならなくなった。

うまくいかなかったことも、人に感謝されたことも、

自分が納得したことも、納得しなかったことも、

全部が私が私であるために起きた出来事で、

私はそれらをいとおしんで、大切に思って、感謝しているのだと、ぼんやりわかった。

過去の全ては今ここに集約され、それらがまた延々と続く未来へと繋がっていくのだ。

必要でなかったものは何もなくて、

だから、私は今ここにいることを許されているのだと、

ただ、ただそう思ったのだ。

なぜ断捨離なのか?

金沢での断捨離講座への参加を終え、なぜ私が断捨離というツールに惹かれるのかよくわかりました。

スピリチュアルな世界でよく言われる「今ここに生きる」ということを、観念でそう思うだけではなく、身体を動かし実践する事で可能にするツールだからです。

世間では、断捨離とはとにかくポイポイモノを捨てる事・・のように思われていますが、そうではありません。

無意識・無自覚に生きているときに溜め込んでしまったもの、今この瞬間に自分にとって必要ないもの、今の私にふさわしくないものを、自分の生きている大切な空間から取り除き、自分の身の周りを「自分がごきげんで心地よく満たされて」過ごすために整えてゆく作業の第一段階が『捨てる』という行為なのです。

自分にふさわしいもの、好ましいもの、美しいものを取り入れる前に、まず『詰まり』を取らなくてはなりません。

どれだけ綺麗な水を注ぎ込んでも、まず器の底に溜まっている泥を捨てない事には、その器はなかなか綺麗にはならないわけです。

「ツイてる。ツイてる。」や「ありがとう。ありがとう。」と言うのは確かに素晴らしい。しかし、自分の中にネガティブが溜まりきっていて、それを手放す事をせずに上からいくら美しいものを注ぎ込んでも、効果がでるのはとても難しいと思います。


『捨てる』ことを『もったいない』と抵抗する意見もよく聞きます。

しかし、『もったいない』の御旗の元に、今使う当てもなく、自分が好んでもいないものを、ただ押し入れの中やクローゼットの奥に眠らせておくことに何の意味があるのでしょうか?

むしろ、それらのものを『邪魔だな~』と思う気持ちが少しでもあるなら、それはそのモノにも失礼だし、そのモノが生かされる道を断っていることでもあるわけです。

私達が何気なく使う『邪魔』という言葉は、ものすごく恐ろしい言葉だと思いませんか?とやました先生はおっしゃいます。

確かに『邪ま(よこしま)』と『魔』・・・ちょっと別々に使うとぞっとする言葉ですよね。

もったいないと言いながら、そのモノを見るたびに邪魔だと思うほうが、よっぽどひどいことのように思えます。


断捨離ではこう言われます。


断・・・モノは、使ってこそ

捨・・・モノは、今、この時に、必要とされるところへ

離・・・モノは、あるべきところにあって、美しい


押入れの奥にしまってある高級カップは、あるべきところにもないし、使ってもいない訳です。


自分は普段、おまけでもらったカップを使い、いざというときにと、高級カップを押入れにしまっている・・このことが現しているのは何でしょうか?

『自分は高級カップを使うのにふさわしい人間ではない。』という、自分に対する評価がそこに下されているのです。



断捨離の最初は、モノを捨てる事が多いので、この「もったいない」と戦うことが多いかもしれませんが、『捨』が進むと今度はうかつにモノを取り入れることがなくなり、自分の『今』にものすごく敏感になってきます。

「今、わたしはこれを必要としているのか?」

「今の私にこれはふさわしいか?」


断捨離は、モノの選別のみに留まらず、人間関係や、自分の行動にも全てが意識的になります。

自分が本当に付き合い人と付き合い、自分が本当にしたいことをするようになってゆきます。


最初にモノを使ってトレーニングすることにより(また、モノを断捨離することで得る多くの気付きによって)、日常生活が今この瞬間にフォーカスされ、無意識・無自覚で生きることがどんどん少なくなってゆくのです。



断捨離講座の一番最初に、やました先生はゲーテの言葉を引用してお話して下さいました。


殺人、恐喝、暴力、ではなく、不機嫌が最大の罪・・・

人間の最大の罪は不機嫌である。l
だから、自分をもてなす・・まずは、自分のごきげんから

断捨離によって場を整えることで、自分をごきげんにする・・・「日々是ごきげん」への道を今からここからスタートしましょう!と、講座は始まったのでした。



そして、三回目の最後には、またもやゲーテの言葉で締めくくって下さいました。

断捨離とは個人と社会と地球にコミットすることであると、やました先生はおっしゃいます。

コミットメント=献身  自分の人生に、自分を捧げる事である、と。


私は深く感動しました。
前回の講座では、ここにこれほど心動かされたわけではありませんでした。

今この瞬間に、わたしに必要なものがもたらされたのだと思いました。
この言葉を聴くために、リピーターとして再び受講したのだと気付きました。


長くなりますが、そのゲーテの言葉をシェアします♪



ものごとを始める行為すべてにあてはまる基本的な心理が一つある。

知らないと無数のひらめきや立派な計画をだめにする。


それは ひとが真剣に取り組もうとはっきり決めた瞬間、

神の意思も動き出すということだ

とても起きるはずのない様々なことが起きて、助けてくれる


決意から 出来事の大きな流れが生じ

都合のよい方向にすすんでいく

わが身に生じるとはゆめにも思わなかったような

あらゆる予期せぬ事件出会い物質的援助が訪れる


できそうなこと 夢見る事を とにかく始めるがいい

大胆さのなかに叡智と力と魔術がある

いま 始めるのだ   



ゲーテ

断捨離講座in金沢 二日目♪

今回は何故だか筆記用具を忘れて行ってしまって、メモを取れないということにすごく不安感を感じた自分を面白く観察しました。
 
メモを取れないとなったときに、私の中に浮かび上がった不安感は、「話を聞いているだけではしっかりとそれを自分の中に記憶&落としこむことができない・・」という怖れでした。
 
それで、「メモを取れないと記憶できない」という恐れを断捨離しよう!と咄嗟に思った私は、あえて他の人にペンを借りる事をせずに、この前記憶術の大家が語っていた『頭の前に置いたスクリーンに、覚えておきたいことをメモする』ことを実行してみたのでした。
 
確かに時系列でやました先生のおっしゃったことを全て記憶することはできませんでしたが、机に向かってメモする必要がなかったお陰で、身体ごとやました先生の方に向けて全身でお話に集中する事ができ、私の体感としては、講座で先生が伝えようとされていることをダイレクトに感じ、考え、感動できたように思いました。
 
知らぬうちに自分を縛っている観念の一つを見つけることができて、これも大きな収穫でした!
 
とはいえ、講座のレポートもそれはそれでとても有意義だと思うので、今回の分は講座の主催者であるmomoさんのブログを是非読んで頂ければと思います
 
今・ここ・自分~断捨離日記 (momoさんのブログです♪)
 
momoさんのレポートより一部抜粋させていただくと・・
 
全ての人は、自分の中にセンサーを持っている。
自分が心地よいと感じるセンサーで、またの名を内在智という。
読んで字のごとく、内側に存在する智恵。
だがこのセンサーは使わないとサビる。
断捨離のトレーニングを積むことで、サビを落とし、感度を上げることができる。
するとモノの要・不要の判断が、どんどん早くなり、さらに断捨離が加速するという構図だ。
 
私は、自分が無意識・無自覚に日々過ごしてしまうことで、このサビが自分の中にどんどんと増え、
ふと気付いたときには、不要なものがそこここに堆積していたり、なんとなく生活が澱んでいたりすることに気付いていました。
 
そこでまた、「自分は何て駄目なんだ!」という自己否定のループが始まったりしていたので、このサビについて先生に質問をしました。
 
「どんな人でも、ほおっておいたら自然にサビて来ますよ。サビは自然に発生するものなのです。」とのやました先生の言葉に、なぜか私はとても救われる思いがしたのでした。
 
そうか!そうなんだ~!自分がサビて来る事は、自分のせいではないんだ!
誰でもそうなるのだから、ただサビないように、自分で日々磨き続ければよいのだ!!
 
私はどこかで、「サビない人間」になれていない自分を責めていたのでした。
 
全てを加点法で見る断捨離では、この考えこそが断捨離すべきもので、自分を責める材料に使うものではありえなかったのでした。
 
 
全ての事がそうなのだと思いますが、私達の進化は螺旋状に進んでいて、前と同じ場所に来たと感じていても、実際にその場所は以前いたところよりも上の次元にあるのでした。
 
 
断捨離は、目に見える世界を変える事で、確実に目に見えない世界を変える力を持った優れたツールです。
 
このツールに出会えたことを、改めて幸せだな~と思いました♪
 
 



 
 
 
 
 
 
 

「断捨離講座in金沢」が始まりました♪

リピーターとして、「断捨離講座in金沢」の第一回目(三週間に渡って三回開催)に参加してきました。
 
断捨離は単なる「お片づけ」の方法ではなく、究極的には「自分を自由にするためのツール」だと私は考えているので、本当の意味でまだまだ自由になってはいないと感じている私は、「リピーター価格ありがとうございます!」っと速攻参加を決めました。
 
同じ事を二回勉強する訳ではないと思ってはいましたが、実際に第一回目の講座に参加し、自分の視点が前回とは随分違うのがわかりました。
 
やました先生のお話は、前回と変わらず温かく深く、ポンポンとさまざまな気付きが飛び込んできます。
 
”モノと向き合う”ことは、取りも直さず”自分と向き合う”ことであることが、前回以上に私の心に響きました。
 
改めて目から鱗が落ちた事を、いくつかメモ代わりに記したいと思います。
 
 

 女性は「片付けられない」と言い、男性は「片付かない」と言う事が多い。「片付けられない」という言葉の裏には、「自分はできない」という能力を卑下する視点があり、「片付かない」という言葉は単に状況を表しているに過ぎない。今日から、「片付けられない」と言うのはやめ、「片付かない」と言うようにしよう!
 
→ 断捨離講座に女性の参加が多いのは、日本には家事を女性がするものという潜在的な観念があり、それゆえに女性は片付けられないことで自分を否定する概念に苦しんでいる人が多いのだなと思いました・・
 

 
断捨離では「停滞している」という言葉を使うのはやめよう。停滞ではなく「熟成してる」と言葉を置き換える。全てを加点法で考え、常に自分を褒めながら断捨離をしてゆくことが大切だ。
 
→ 「自分を減点法でとらえている人は、相手も減点法で見てしまう」と先生はおっしゃいました。人間関係での悩みやつまづきは、自分自身を変えることで全て変わるのだなと、改めて思いました。実際今の私も、断捨離に関しては「停滞している」と自分で感じていましたが、それこそが自分を責める思考癖なのだとわかりました。
 

 
与えられた条件の中で、できることを探してゆく。その積み重ねでゴールへと向かう。
 
→ 自分は常々完ぺき主義だと人からよく言われていたのですが、完ぺき主義が幸せになることを一番妨げるのだとわかります。今できること、今の状況でできること、それらの小さなことを一つ一つ成し遂げる度に自分を褒め、今日の自分を楽しむことがとても大切であることを改めて思いました。
 

 
「片付いていない」という状況は、今の自分の「診断」に使うべきであり、どうすればよいかを考えればよい。それを自分を責める材料にしてはいけない。
 
→ 私自身に関して言うと、片付けだけではなく家事全般に関して、それができていないときにはつい自分を責める思考が浮かび上がっていることに気付きました。自分を責めることが楽しいわけはなく、それだから家事が億劫になり、また責める・・と悪循環がに陥っていた訳です。自分を責める心癖が、こんなに根深いのだと、それがさも当たり前になっていたのだと、小さなショックを受けました。
 

 ゴミ・ガラクタを自覚していない自分・・・つまり、無意識状態のものを意識化してゆくプロセスが大切。
 
→ これは、「ゴミ・ガラクタが自分にふさわしいと思っている自分」に気付くプロセスなのだと思いました。私自身は、ゴミ・ガラクタの類はかなり断捨離したとは思っていますが、それでもまだ「自分にふさわしいもの」を与える行為がうまくいっていないことに気付いていました。この無意識領域にある、自分自身を低く見積もっている自己認識に気付くことが、今回私が再受講した理由なのだと思います。
 

 人間が一番執着を感じるのは「自分のポジション」である。
 
→ あ~、本当にそうだなぁと思いました。自分を認める作業として、自分がいるポジションで自分を語ることはたまらなく魅惑的なことであり、またそれがたとえ好ましいものでないにしても、そこから離れる事は自分の存在意義に大きく関わる事なので、ひとは自分のポジションに大きな執着を示すのだと思いました。自分のポジションさえも断捨離することができたら、本当の意味で人間はとてつもなく自由になるのではと思いました。そして自分もそうしたいと願いました。
 
 
 
思ったほどリピーターの人はおらず、新しい顔ぶれに全てが新鮮な感じがしました。
 
初めてやました先生のご本を読んだ日から始まった断捨離によって、自分の中で時間が止まっていたものを動かし、少しずつ少しずつ自分がそうありたい自分へと変化をしてきたつもりでしたが、「自分の価値を認める」ことに深い葛藤を抱えていた自分が逆にクリアに見えてきて、その見えてきたものとの対峙にまた新たな葛藤を持っていた自分だったと思います。
 
断捨離やそれ以外のツールも使いながら、その葛藤を手放す試みを続けてきましたが、そろそろそれらも終わりにして、やました先生の提唱されている「日々ごきげん」の境地に辿り着くことを自分に許可したいなと思う私です。
 
今回の再受講で、断捨離というツールを更に効果的に使うことで、その許可をはっきりしっかり自分に降ろしたいと思っています。
 
身体を使い、場を整える事でそこから影響を受けるという、このものすごいツールを生み出した山下先生はやっぱりすごい!!と、今更ながらに思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ギャラリー
  • 新しいゲーム
  • 新しいゲーム
  • 波に乗ると決める
  • 波に乗ると決める
  • passion(パッション)に従い生きる
  • passion(パッション)に従い生きる
  • passion(パッション)に従い生きる
  • passion(パッション)に従い生きる
  • 愛という名の支配
livedoor プロフィール