2011年11月

(アメリカ一人旅 5) 共感

仲良くなったあるアメリカ人の女性が、プレゼンスを感じながらするナイトウォークをしないか?と誘ってくれました。喜んでご一緒させてもらい、時々通る車のヘッドライトの明かりを頼りに、真っ暗な夜道を一歩一歩歩いてみました。

小高い丘を昇りきるまでは、ほとんど話をせずに星空と夜気を感じながら歩きました。それは、しんと静まり返った美しい時間でした。どんどん自分が静かに平和になってゆくのを感じました。

丘の上で一休みしたとき、その女性は私に色々と質問をしてきました。
私がどうやって英語を学んだのかや、なぜこのリトリートに参加したのか、そしてここに来てどういう変化があったのか、と。

私は自分に起きたことを、日本を出る前のいきさつから語りました。

じっと聞いていた彼女は、私がここに来て悲しみを解放したこと、皆から受けた愛情に心から感謝していることを話すと、「そんな遠い場所からわざわざここまで来たあなたには、レナードの隣の席に座る権利があるわ!そして、私が今聞いて感動したように、あなたのシェアが必ず他の多くの人の心を動かすことは間違いないから、是非とも勇気を出して手をあげてシェアしなさい。」と、私を勇気付けてくれたのでした。

彼女はレナードと知り合ってからもう随分経っているらしく、これまで彼女自身を含む多くの人が、あの席に座る事で変容を促されてきていたことを見てきたのだそうです。「レナードの隣の席は、どのパワースポットよりも凄いパワースポットなのよ!」と、熱く語るのでした。

私は彼女の気持ちをとても素直に受け取ることができたので、その後のセッションで勇気を出して手をあげました。

シェアをしたいと告げると、残念ながら前の席に呼ばれずその場で発言することになったのですが、それでもそれは素晴らしい体験になったのでした。

まず私は、その日の午後の山歩きで私を含む外国から来た6人を、サプライズで大きな樫の木につけらたブランコに仰向けに寝かせてのせて、樫の木の間近まで漕ぎあげてくれたことへの感謝を述べ、そして、私に起きた抵抗や悲しみの解放について話しました。

ところが、話しているうちに自分の口が勝手に動き出し、私は過去に自分の悲しみ苦しみと向き合うことを避けていたために、その悲しみを怒りと言う形で表現し、まだ子供だった長女にぶつけてしまっていたことを告白したのでした。

同じ事を親からされたがゆえに、中年、老年という年齢を迎えても、「今、この瞬間」に存在することができなくなる痛みを抱えてきた人がどれほど多いかをこの場で目の当たりにし、私は自分がしたことを本当に心から悔いたのでした。

私の告白は、何人もの人の涙を誘っているのがわかりました。私自身も、嗚咽しそうになり、ようやく話を続けました。

会場中の暖かな視線と愛が私に注がれているのを感じました。
その場に存在することができたことに、心から感謝している自分を感じました。

パワースポットに座る事はありませんでしたが、私はもうすでに自分の中から去らないパワースポットに常住しているような気持ちでした。

その後、何人もの人が私にシェアしてくれてありがとうと、ハグしてくれました。自分自身が親からの虐待を受けていた人までもが、娘に対する私の告白に涙してくれて共感してくれました。本当に本当に幸せな体験でした。

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(アメリカ一人旅 4)変化

自分の中に「逃げる」という選択肢があることに気付いてしまった私は、まずそれを認めることから始めました。

・・そうか、私はやはり怖いんだな。今の自分でなくなることに抵抗しているんだな・・・と。

そうしてその気持ちに無理やり抵抗するのではなく、もう1人の自分がそれを見ているような感覚で認めながらも、私は『今この瞬間』に自分を留まらせることに集中していました。

一日目と同じように、さまざまな人のシェアが進んでゆきました。私はほとんどの人に深く共感し、その人達と同じように悲しみが浮かびあがってきて、一緒に涙をこぼしました。

そうしているうちに、私の奥深くから、理由のわからない悲しみと孤独感が浮かびあがってきたのでした。

それはもう夕方には、行き場を求めて爆発しそうなくらいになって、気を許したらその場で泣き崩れてしまうほどのものになりました。

手を挙げてシェアをする勇気がまだ無かった私は、ディナーのための休憩時間にレナードに直接話をしに行ったのです。

私はレナードに言いました。

「理由のわからない悲しみと孤独感で今にも号泣しそうです。もしこの感情が『自己憐憫』から来ているものだったら、私はそれに浸ってはいけないような気がするのですが、この気持ちはもう耐えられないくらいになっていて、どうしてよいかわかりません。」

そうすると、レナードはとても優しい眼で静かに言ってくれました。

「自分を信頼しなさい。あなたの悲しみをしっかり味わう事でしか、あなたに癒しは起こらない。心配しないで、その悲しみにしっかり身をゆだねてみればいいですよ。」


彼の言葉に私の中でははっきりとゴーサインが出て、私はそれから庭に出て1人になれる場所を探し、30分ほど泣き続けました。

突き上げてくるような悲しみと孤独感に、何度も何度も嗚咽しました。

そうしてふと気付くと、私はぼーっとなっていて、もう悲しみは上がってこなくなっていました。

少し前までは全くなかった食欲がほのかにわきあがってきて、まだ時間に間に合いそうだったので、それから私は食堂に向かい夕食をとりました。サイレンス(沈黙)の行がまだ行われていたことに感謝でした。


その夜は、眠っていたらものすごい頭痛が起こり、それは眠れなくなるほどの痛みでした。

しかし、痛みも感情と同じく解放のツールでもあることを知っていたので、私はその痛みを封じ込めようとはせず、ただただ痛みと共にある自分を感じました。

気が付くと私は眠りに落ちていたらしく、翌朝には前日の事がうそのように爽快な気分で一日が始まりました。


何かが私の中で変化しました。

シェアする人達の話を聞いていても、悲しいところにはもう反応しないのです。

そうではなくて、その人達が悲しみを手放した後に感じているハートの打ち震えるような喜びに、私も同じように共鳴するのでした。

相変わらずティッシュは手放せませんでしたが、流す涙はとことん喜びと感動の涙でした。

前に出てレナードとワークした人達は、どんどん明るく優しく変化しているのがわかりました。
私自身はそれをしたのではありませんでしたが、自分も同じように変化したのを感じていました。


中国から来ていた50代の女性は、国の政策のため親が出稼ぎ状態で、育ててくれた祖母に精神的に虐待されて育った痛みを手放しました。

その人は、正直最初は何かとっつきにくくて、おしゃべりするのが難しいなぁと感じていたのですが、そのワークの後には別人のように穏やかな表情になり、その優しい雰囲気につい私も部屋で話しかけたところ、とても良い友人になれました。

台湾から来た30代(・・にはとても見えない可愛らしい)女性は、最初の二日間は私達と話したくないのかも?と感じるくらい無愛想でしたが、ワークの後には別人のようにきゃぴきゃぴとした元気はつらつ娘になり、来月私が家族と台湾にいく予定を聞くと、こと細かに色々とアドバイスをしてくれ、時間の都合がついたら案内までしてくれるという話になりました。

こういう感じが、グループのあちこちに起こり、楽しそうな人達がどんどん増えていきました。

しかしそれとは反対に、ものすごく深いところに抑圧されていたものが浮かび上がってきた人達は、一様に暗く重い表情で椅子に腰掛けているのでした。


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(アメリカ一人旅 3)『今、ここ』

「今、ここ」・・・聞いたことのある方にはなじみのあるフレーズかもしれませんが、普通に聞いたら変なフレーズですよね。英語でも全く同じように”Now, here."と言うのには新鮮な驚きを感じました。

レナードのリトリートは、全ては「今、ここ」に存在する自分に戻ることに集約されていました。

彼が行うのは、「今この瞬間、この場所」に存在することを意識的に自分にさせることで、「今、ここ」に存在できなくなる感情が浮かび上がってくるのを解放させることが全てでした。

それは見事なほどに、ほぼ全てといってよい人々に、さまざまな過去に体験した抑圧された感情が浮かび上がってくることを促し、私達がどれほどこの瞬間に生きていないのかを、まざまざと見せつけました。

そしてその抑圧された感情は、まるでたまねぎの皮を剥くように、どんどんと魂の深い部分に近づいてゆき、魂の慟哭とも言える様な、それまで本人が見ることを拒否していた場所にあったものまで、表層意識に浮かび上がってくるのでした。

大勢の中にいながらも、「今、ここ」の自分にしっかりと対峙するため、二日目からは食事中も「沈黙」し、「今ここに存在する」ことをし続けました。頭が英語に疲れてきていた私には、その沈黙の時間はどちらかと言うとありがたいものではあったのですが、黙って食事をするという体験は、これまで自分がどれほど「食べる」ことから離れてその行為をしていたのかに気付かせてくれました。

午前、午後、夜のワークの間、次々と参加者からのシェアが起こり、そこに解放すべき深刻な過去の感情の抑圧があるとレナードが見抜くと、彼は彼の隣にある椅子にその人を呼び寄せ、プレゼンス(今この瞬間)に留まれなくなるその感情が発生したその時へとその人を導き、そこで感じることを十分にしなかった感情を今ここで味わうことを選択するよう促すのでした。

ほとんどの感情は「怒り」であり、子供だったがゆえにその怒りを愛する相手(ほとんどは保護者)にぶつけることができなかったその悲しみが、その人を「今この瞬間」に存在することから遠ざけてしまっているのでした。

アメリカならではのヘビーなシチュエーションが次から次へと目の前で展開され、中には今世のみならず過去世での恐ろしく悲しい体験が今の自分を苦しめている例もいくつかありました。

彼らは泣き叫び、怒りにこぶしを震わせ、そのときに味わいつくすことができなかったほどの深い悲しみと、真正面から対峙しました。

”Fuck, you!" という怒号が何度繰り返されたことでしょうか。

そうして、レナードの誘導によって目を瞑っている彼らのビジョンの中に現れている、子供だった彼らを苦しめたその相手は、自分自身の怒り・悲しみと対峙する事を避けてそれをわが子にぶつけてしまったことを悔いる言葉と、わが子への愛を伝える言葉を告げるのでした。

それらを彼らの妄想や願望と言うにはあまりにもその描写はリアルで、それらの謝罪や愛の言葉を受け取った人は、それまでの悲しみ苦しみがまるで氷が解けるようにその場から消えうせ、後には深い癒しとハートを振るわせる喜びが彼らを包みこむのでした。

会場が一体となりその人に共鳴し、その場にいる多くの人達がその喜びを共有して感動の涙を流していました。

それが次から次へと繰り返されることにより、頑なに自分の奥に握り締めていた「今この瞬間にいられなくなる理由」を、誰もが手放さずにはいられない状況になってゆくのでした。


私自身は、到着した日の眠さがただの時差ぼけだと最初は思っていたのですが、手をあげて発言した人とレナードとのやり取りを聞いているうちに、自分は「抵抗」しているために眠気に襲われてもいるのだということに気付いてしまいました。

海を越えてここまでやってきた自分なのに、抵抗することでそこに参加できなくなっているのは、少なからずショックなことでした。

しかし、それに気付いたことで何かのスイッチがカチッと入り、私は無意識に自分の中にある手放すべき感情を徐々に表層意識に浮かび上がらせてくる事になりました。

そしてそれは、リトリート二日目に起こりました。


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(アメリカ一人旅 2) リトリートinマウントマドンナ

レナード・ジュエイコブソン氏の4泊5日のリトリートに参加することが、まず最初に私をアメリカへ連れて行った動機でした。

彼の著書に書かれていることがあまりにも私のハートを直撃し、「今この瞬間にここに存在する」ということを、彼がどのように私達に伝えているのかを直に知りたくて彼のHPを調べたら、ちょうど一ヶ月前に東京で彼のワークショップが開かれた後で、その後に予定されているのはアメリカ・サンタクルーズでの宿泊型ワークショップ(リトリート)のみだと知りました。

サンタクルーズってどこだ?と地図を調べると、それはカリフォルニア州にあり、なんと私がずっと行きたいと願っていたシャスタから飛行機で一時間の場所にあるではありませんか!

「シャスタ、11月」とずっと頭の中にやってくるインスピレーションとそれは見事に符号し、これは行くしかないと思ったのですが、お金も手元にないし、いきなり半月後に家を空けるのを夫がいい顔をするはずはないし・・・と、しばし躊躇していました。

それでも、自分がいまそうでありたいと感じるままに生きたい!という思いは消えず、意を決して夫に話をしました。当然彼がすぐ理解してくれるはずもなく、私のわがままに辟易としている様子さえ見えましたが、夫はいつも最後には私を受け入れてくれる人でした。

普通に考えれば、単にわがままな奥さんなのかもしれませんが、私自身はこれをわがままだと定義しているのではないのです。何でもないことに心が突き動かされるはずはないし、今の私はそれが私にとって本当に必要かどうかはちゃんとハートで感じ取っているという自信もありました。

私に必要なことを、私が心のままに素直に受け取り実行することは、それは自分の大切なパートナーや家族にとってもプラスになることでしかないと思うのです。反対に夫や家族が、私の考える範囲を超えたことをしたいと心から願ったとしたら、私はそれを受入れサポートできる自分でいたいと願っています。

この世で浅からぬ縁で結ばれた家族が、お互いが自分の魂の望む通りに生きることをサポートしあえることは、お互いの喜びでしかないはずだと私は思うのです。


前置きが長くなりましたが、温かい家族のサポートを得て、私は無事にアメリカの地に降り立つ事ができました。

マウント・マドンナ・センターという、かつてインドのグルを中心に作られたコミュニティーが経営するその会場兼宿泊施設は、サンタクルーズ山の上にあり、とても磁場の良い風光明媚な美しい場所にありました。


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携帯で撮った写真なのでちょっとぼやけていますが、空気が透き通っていて本当にすがすがしいところでした。

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参加する前に、英語のネイティブスピーカーでない私が参加しても大丈夫かとメールで問い合わせをしたのですが、レナードの奥さんのメアリーから届いた返事には「レナードのリトリートには世界中から参加される方がいるから大丈夫ですよ。」と書かれていました。

しかし蓋を開けてみると、参加者60~70人中、海外からの参加は日本人は私1人で、後は中国から3人、台湾から1人という内訳でした。

中国人2人と台湾人の方は、以前に自国でレナードのワークショップに参加していました。もう1人の中国人の女性は私と全く状況が同じで、彼の著書を読み感動して、いきなりアメリカでのリトリート参加の予約をしたそうでした。

実際のところ英語に関しては、普通にレナードの話を聞いたり、誰かと会話する分には不自由はありませんでしたが、ワーク中の参加者が泣きながら話したり、感情の激高でものすごい早口でわめいたりしたときには、聞き取れなくなることがありました。

しかし後で、スタッフにそれを打ち明けたところ、「大丈夫よ。それでいいのよ。泣いたりわめいたりしているときには、その人の魂ではなくエゴが話しているのだから、そんな話聞く必要ないからむしろラッキーよ!」と言われ、妙に納得したものでした。

夜は参加費を抑えるために最安のドミトリーに宿泊したので、まるで映画に出てくる修道院か何かのような11台のベッドがずらりと並んでいる部屋に眠りました。

ラッキーなことに到着が早かったため、一番隅のベッドを選ぶ事ができ、心配したほどには窮屈な思いをせずに、割とリラックスして眠る事ができました。

一日目は時差ぼけでの眠気との闘いで、あっという間に半日が過ぎてゆきました。


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アメリカ一人旅  その1

出入りを含めると10日間のアメリカ一人旅から帰ってきました♪

なんでそういうことになったのか、行く前はどうだったのか、なんだかもう遠い過去のことのようです。

今感じているのは、行ってよかったということ。
そして、私はそこへ導かれていくことを選択したのだなということです。

最初の5日間は、サンフランシスコからハイウェイで1時間半くらいのサンタクルーズ山でのリトリートに。
次の3日間は、そこから飛行機で1時間飛んで、更にハイウェイで1時間半のシャスタ山の麓に行きました。

その間ずっと、私は私自身に戻る旅をしていました。
今ここ、この瞬間に生きる自分を思い出す旅をしていました。

出会った人々は皆私と同じように本当の自分に戻ろうとしていました。
苦しみ、もがき、それでも諦めなかった人達は、今この瞬間にいる自分になったときに、全てがひとつになる体験をしました。

悲しみも、恨みも、憎しみも、全てが愛の元に溶かされてゆきました。


数々の奇跡のようなシーンを何度も目にし、ハートが喜びで打ち震える体験をし、私は自分の中にずっとあった悲しみの涙を手放しました。

シャスタ山の神々しいまでの白さと光が、ただ無邪気に開けはなれた私のハートを癒しました。

そこには、楽しさと喜びとくつろぎと、ただただキラキラと輝く美しいものばかりが存在しました。

空間も時間も飛び越えていつもそこに存在するそれは、これから私の元を去ることはないでしょう。

私の一人旅を受入れ、サポートしてくれた家族に、心からの感謝をするばかりです。


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お知らせ

18日まで留守にしています。
ご用の節は、アドレスをご存知の方はPCへのメールでお願いします。
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18日以降にお返事致しますのでご容赦ください。
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