2015年05月

10年前の新聞投稿

夫の実家をいよいよ処分することになった。誰も住まなくなってから早7年以上経っている。

田舎では、長男である夫がいずれ戻って住むものだと親戚たちは望んでいたようだが、夫自身にその気持ちはないし、私も 同じだ。

7年前にこの世を去った姑とは、彼女が亡くなる半年前まで、私の中には葛藤があった。長男の嫁に対する姑の葛藤は、そのまま私が自分が正しいと思っていた葛藤の写し鏡のようだった。

私自身は良い嫁でいたいと精一杯努力しているのに、どうして姑は嫌味を言うのだろうと、いつも悲しかった。夫に相談しても、私が大人でいれば良いことだと、大抵の場合、逆切れされて喧嘩になった。

ずっと自分が被害者であるという気持ちがぬぐえず、姑と心を全部開いて気持ちを通わせることはとても難しかった。この人と別れるために、夫と別れようとさえも何度も思った。

ところが、亡くなる半年くらい前から、これまでのことが嘘のように姑と心が通うようになり、夕暮れ時に届け物をしてから帰るときなどは、彼女が私を心から心配してくれたりしているのを感じたりするようになった。

当時受けていたリーディングでは度々、「あなたが変わったから、お義母さんも変わったのよ。」と言われていたが、そのときはまだその意味が本当にはわかってはいなかったかもしれない。

姑と同居するなら、私が夫と別居しようとまで思っていたのに、「お義母さんの身体がそろそろ心配だから、私同居を考えてもいいよ。」と、それまでの私には考えられない台詞を夫に伝えたのが、義母に最後にあった日の帰り道だったことを覚えている。

義母は、心臓発作か何かで夜中に廊下で倒れ、翌日冷たくなったまま発見された。当時世間で話題になっていた孤独死を、まさか身内で体験するとは思ってもみなかった。私の人生で最大の衝撃だった。

私は自分を責めた。夫を単身赴任させてでも、自分がどんなに辛くても、長男の嫁として同居していればよかったと悔やんだ。そして、その悔やんだ気持ちを現実は見事に反映して、親戚からの冷たいエネルギーを私は一身に受けた。

それよりももっと辛かったのは、夫が今まで見たこともない姿で、深く悲しんでいたことだった。彼に申し訳なくて、申し訳なくて、私は自分を責めて責めて泣いた。

お葬式の最中に、私は泣きながら夫に謝った。そのときの夫の眼差しと、優しい声の響きは一生忘れないだろう。彼は言った。「誰も悪くないよ。だから謝らなくていい。」

その瞬間、私の中に深い洞察が降りてきた。まるで神様の声を聴いたようだった。一番辛い夫が私を許してくれた。だからこそ、私は私を許そうと思った。うまくできなかった自分を許せるのは、私しかいないと思ったのだった。

私が本当の意味で全ての罪悪感を捨て去るまでは、その後いくつかの関門はあったのだが、義母の存在を通して、私は自分を許すという事をとことんまで体験させてもらうことができたと思っている。

先日、義母の遺品を整理していて、10年前の私の新聞投稿の切り抜きを見つけた。義母が切り取り、保管してあったのだ。きっと彼女にとっては、たとえ投稿ではあっても身内の文章が新聞に載るということは、とても嬉しいことだったのだろう。

自分でも、そんなものを投稿していたのをすっかり忘れていた懐かしい文章だった。今の私は新聞さえ購読していない。たった10年まえの自分がまるで他人のようにも感じられる。でも、義母の気持ちがなんだか嬉しくて心がほっこりとした。

夫の実家に関わる思い出は、私にとって辛くて暗いものばかりだった気がする。しかし、今回の片づけを通して、まるですべてが走馬灯のように蘇り、重くて苦しかった思いの中に生きていた自分を思い出した。そして、その苦しみの現実を作っていた自分と、今の現実を生きている自分の違いに改めて気づかされたのだった。

小さな新聞の切れ端は、まるで過ぎ去った私の葛藤の日々に灯された小さ明かりのように感じられた。新聞投稿のようなもので、自分の存在を確かめていた自分。しかし、そのあがきであっても、関わった魂の人に何か喜びをもたらしていたという事実。人間の人生とは、なんと切なく重く、でも愛しいものであったのだろうか。

10年前の私が想像できなかった、軽やかで心地よい世界に生きている自分。自分の現実は自分が創っているのだということを、今さらながらに確認させてもらった気がしている。


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今あなたがすべきこと

今必要なことを、今やること。それが一番大切なこと。

あとで何かをやろうとしても、それはもうその時の感覚のものではなくなってしまう。


あなたがやりたいと思うことは、今あなたに必要なこと。

誰かにそうすることを阻まれても、それはその人の問題でしかなく、あなたがそれをどうとるかですべてが決まる。 


きょうあなたが思うことは、あなたの過去と未来に繋がっていること。

そしてそれはあなたが大切にしていることを今あなたが現実に落としていくということ。

あなたが大切にしていることは、あなたの魂が望むこと。

そしてそれはあなたにしかできないこと。


誰かに言われてやることに、あなたの魂が響くことはない。

あなたがあなた自身で決めることに、あなたの魂が輝く道筋がある。


きょうあなたがしたいと思うことをしないとしても、時は刻々と過ぎていく。

それをしないで過ごしていっても、世界は何も変わらない。

ただ、あなたが生きていることに、あなたが喜びを持つことができないということ。


あなたは何のために今ここにいるのか。あなたは何のために今ここに生きているのか。

すべてはあなた次第。


あなたが決めたことはあなたがやるべきこと。

そしてそれは全ての人を輝かせること。 


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Life is a self-fulfilling prophecy.

Life is a self-fulfilling prophecy. ( by the group )
人生は自己達成しつつある預言である。
 

 
人生はすべて自分が決めてきたものである。

それに逆らうのも、我慢するのも、喜ぶのも、すべてが自分で選ぶ道である。

ある時にはそれに従い、ある時にはそれに逆らう、すべてがOK。

自分がしたいことだけで人生が決まっているということは、それが幸福であるか不幸であるかの定義のどちらであっても、実は自分の望みが叶っているという大変に幸せなことなのである。

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