Cerulean Blue (セルリアンブルー)

Believe in yourself. You are loved.

2019年08月

「人間として生きる」ことを見つめる期間

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娘が二人のおちび達と帰省中で、我が家は半年前(里帰り出産期間)にタイムスリップ中
😅 
夏風邪からまだ復調していない3歳の上の子が、久々の「育てにくい子Max状態」のところに、いつもはあまり手のかからない下の孫まで生まれて初めての発熱でぐずぐず・・。 きょうは昔の仲間達と会うために、二人の子供を連れていそいそと出かけていったはずの娘が、帰りの車の中で暴れた娘にとうとう切れてしまって、家に帰ってからもしばらくはそれが収まらなかったのでした。 泣き止まない孫娘を、私と夫とで外に連れ出し、二人で彼女を十分に慈しんでしばらく抱っこしてから、公園の遊具で遊ばせてようやく彼女の笑顔を取り戻しました。


多分、身体の具合が本調子でないことから、普段は折り合いをつけていた「自分だけを見て!自分だけを愛して!」の孫娘の願望が、少し屈折した形で噴出していたような図式だったのだと思うのです。 まだまだ甘えたい盛りの3歳児が、下の子供ができた事で抑えていた気持ちが、これまで自分だけを甘やかしていた祖父母までもが弟を抱っこしたりすることに対して、何かが噴出したのかなと感じました。 (基本、私達も上の子を優先して行動するように心がけていたのだけれど、それでも何かが不足だったのでしょうね。公園で、じぃじとばぁばを独り占めてしている時は、彼女はとても穏やかで幸せそうでしたから・・)

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面白いなと思ったのは、この様子を見ていたうちの末っ子長男(25歳)が、「〇〇(姉のこと)が、大学1年の時に暴れていたのとそっくりや!」と言ったことでした。 今、育てにくい子Max状態の娘に手こずって、泣くほど悩んだりしている長女は、大学に入った年には確かにかなり「おりこうさん」を脱してはめを外していました。 その時期に(特に私が家を空けている時などに)、末っ子の弟に暴言を吐いて、その後長い間彼が姉を嫌いになる原因になったほどの支離滅裂な酷い事を言っていたらしいのです。(母親になって随分と丸くなった姉のことは、もう彼も嫌ってはいませんが・・) 今にして思うと、長女としてずっとおりこうさんの仮面を被っていた彼女は、(彼女から見ると甘やかされていた)末っ子にぶつけたい思いがあって、心理学的に言う「影の反逆」・・つまり自分が抑えていたものがもう抑えきれなくて噴出して、彼女自身を襲ってくるような状態だったのではと思うのです。
娘自身が落ち込んでしまうほどの孫娘の状態は、単なる孫娘の問題ではないのだなと、ようやく観察者の視点を持って彼らに接することができるようになった今の私には感じられたのでした。 里帰り出産の時には、娘そのものとの終わっていない課題との向き合いがあったので、今のようには冷静ではいられませんでした。 それは20~30年前に味わった自分自身の「苦しかった育児」の記憶が蘇り、それを完了させるための、正直苦しい2ヶ月間でした。

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しかし今回は、どれほど泣きわめかれても孫娘に個人的に心がざわつくことはなく、育児に落ち込んでいる娘に言葉をかけられる心のゆとりが自分の中にありました。 奇しくも息子が放った言葉から、孫娘の自己主張と泣いて暴れる様子は、娘が表現できない彼女の「影」の部分を表しているのではないかというふうに思われてなりませんでした。 彼女が、普段夫くんと姑さんとに対して飲み込んでいる思い・・そして、幼い頃に我慢して長子の役割を果たし、当時未熟だったために彼女の自己主張を受け止めきれずに叱責しコントロールしたダメ母だったの私への思い・・それらと本当に向き合い、それを超えて行くために起こっているように感じてなりませんでした。 幸いにも、里帰り出産の時から今までの間に色々と起きた出来事から、そういう話題に関しても電話で彼女と話したことが何度かありました。 今回の孫娘の様子はかなり大変でしたが、娘の立ち直りの様子や、孫娘に対する在り方の変化を見る限り、やはり全ては必要があって起こっている出来事なのだなと思わされました。 決して短くはない時の流れを経て、こうして私達は自分自身を知る旅をしているのだなと、改めて思いました。 孫を持つ年齢になってようやく、自分自身の若い時に未完了であったことと再び向き合い、過去には経ることのできなかったプロセスによって、その時には想像もできない着地点を見つけるのだなと感慨深い私です。 私を悩ませた娘が、同じように自分の娘に悩まされ、そしてそれらは子供の問題ではなく自分自身のことだったのだという気づきを、三世代が共に生きる時空でようやく深く得る事ができる不思議・・。 家族の中で見るべきことが次々起こっているここしばらくでした。
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実は、前回のブログを書いた翌日にも、夫からも「影の逆襲(笑)」とでもいう、彼が自分に言い聞かせて「良い夫である」ために飲み込んだ思いが、ふとしたきっかけで爆発した「大ゲンカ」を経験していたのでした(苦笑)

口をきかない状態のまま就寝した朝方、寝起きで半眠りの私にメッセージがやってきて、夫に起こった大爆発はむしろ好ましいことでしかなく、私がそれを受け入れることで私達はより深いパートナーシップがとれることがわかったのでした。 これまでの私なら、夫に対する幻滅は離婚することを示唆しているのかと思ったものでしたが、人間の不完全さを本当に受け入れること(それは、究極自分自身に対してなのだと思います)は、何より自分自身を受け入れ幸せにすることなのだと理解したのでした。 その翌日にやってきた娘と孫達でした。 すべてが流れの中に起こっているのがわかりました。 splashing-275950_960_720
お盆の期間と言うのは、こういう風な向き合いが起こる期間でもあるのだなと思いました。 自分自身を軸とする命の流れの中で、「人間として生きる」ことを見つめることをする時でもあるのでしょう。 今夜遅く、県外に就職している息子は帰って行きました。 あと二日程で、娘達親子も帰ります。
遠く房総半島の先端に新居を構えたもう一人の娘夫婦とは、9月の海外挙式の時にゆっくり話ができることでしょう。 もう自分の記憶の中では前世に近いような感覚の私の子育て期間も、形を変えて本当の意味で私の中に刻まれる時が来ているように感じています。 creek-21749_960_720
すべては自分自身が投影されている世界を生きているのだということ。 どの瞬間に刻まれているものも、愛おしいものでしかない自分自身の命の現れなのだということ。 喜びや楽しさだけではなく、悲しみや苦しささえも私自身の断片であることを知り、私はこの命を慈しみ愛して生きていきたいなと思います。 ようやく一人の時間を過ごせた、真夜中のパソコン前の幸せな私の長めの呟きでした(笑) 残暑厳しい毎日ですが、どうぞゆく夏を惜しみ、心豊かな毎日をお過ごしくださいね。



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扉を開いてその先に進む

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三連休が終わりました。でもお盆休みのある会社勤めの方は、まだ連休中ですね。

うちの夫は久しぶりの連休に羽を伸ばしすぎて、祝日だった昨日毎朝のアラームを外したのを忘れていて、今朝は寝坊して大遅刻して出勤しました

はい、そして夫が飛び起きるまで、何も気づかずにすやすや横で寝ていた妻は私です(笑)

「妻の務め」という言葉は我が家では死語になって久しかったのですが、とうとうトドメが刺されたようです。(これで、ますます夫は私を当てにしなくなり、自立が進むと思います


夫は定年退職前は超お堅い厳しい系の公務員だったので、時間に遅れることはまずない人でしたが、定年退職後の仕事に就くようになってからは、随分緩んできていました。

加えて、常識の範囲での妻らしい行動をとらなくなった私との生活で(月に数回家を空けるし、時には一週間帰ってこない・・笑)随分頭も柔らかくなってきています。(諦めた・・とも言う。笑)

しかし、集合意識の中での役割に自分を当てはめるという、つまり場のエネルギーに影響を強く受けることは、長年の職業柄やはり強いように感じます。

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例えば、地元で外出する時は一切手をつないでくれないけれど、都会か外国に行ったならOKです。

海外に彼をできるだけ連れ出すようにしているのは、ある意味そのためです。日本を出ると、うちの夫は、本来の自由で気楽で人の目を全然気にしない人間に戻り、つまらない親父ギャクやジョークを連発する面倒くさいおじさんになります

三連休などになると、インドア派夫婦の私達は、各々好きな事(夫はプレステ、私はパソコン)に興じ、二人だけの世界にトリップするので、ある意味世間から隔絶され、プチ海外旅行モードに入ります。(コンドミニアムに二人でいるような感じです)

海外旅行の余韻がまだあるうちは、こうしてお家トリップでも、いい感じで夫も自由になり、その結果今朝のように遅刻したりもします(苦笑)

こうして書いていると、自由に気ままに生きているように見える私には、人生何の不足もないように思われるだろうな~と思います。

実際、制限だらけだった昔の自分に比べると、子育ても終わったし、やりたいこともやらせてもらっているし、確かにその通りなのでしょう。

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ところが!!です。ところが!!が起こったのが、前回のブログに書いたアカシックガイドセッションから始まった、週末二日間のスクールに端を発する先週一週間の出来事なのでした。

アカシックガイドセッションで私が受け取ったのは、自分のこれからに対するビジョンがよりクリアになり、お腹に落ちたという感覚でした。

自分は何をしてどう生きたいのか?から目を背け、お茶を濁すことは、もうできない時がやってきているのを感じたのでした。

そしてそれに続いての二日間のアカシックスクールでは、たまたま生徒さん達の人数が奇数だったので、ペアワークまで全部一緒にやることになりました。

そうして何回かのワークの全てで、ほぼ毎回同じメッセージがやってきました。

それは「私は自由だ。私は何にも縛られない。自分を縛っているのは自分だけ。夫を気にせず自分がやるべきことをやる!」・・見事に同じメッセージが繰り返されたのでした。

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北陸の男尊女卑が強い地域において、現在の私は他と比較すると「自由な女」だと思われます。(「男子厨房に入らず」「夫と子供には良い服を着させても、嫁はボロを着ろ」と、まじで姑からきつく言われていた嫁でしたから、昔は・・

夫も、妻をこんなに自由にさせている自分は心が広い(笑)と自負しているようです。(都会の皆様とは本当に感覚が違うのです)

なので、私の中でもどこかで自分への許可度に限界をつけていたのは否めません。

私が自分に欲する自由度は、旧態然としたパートナーシップでは叶うはずのないレベルで、離婚か卒婚をしなくては得る事ができない・・と、どこかで自分自身に言い聞かせて葛藤していたのです。

しかし私は、夫と離れたくないのです。これが執着なのか、魂の結び付きなのかは定かではありませんが、彼と一緒にいるためには、他のすべてを捨ててしまいそうな自分にも気付いていたのです。

なので、多分夫が思う最大限の「妻の自由度の限界値」をじわじわ上げるという姑息な手段を取りながら、きょうまでやってきていたのでした。

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日曜の夜、東京から帰りの新幹線の中で、私は受け取った一連のメッセージを咀嚼しました。自分で気づいていながらどこかに押し込めていた「更なる自由」とは何かを考え始めました。

そして、一度動き始めたものは次のステージへと私を押し出したのです。

次にやってきたのは、我慢できないくらいの「歯茎の痛み」でした。治療してあって、神経も抜いてあるはずの歯の根元の奥深くが、いきなり痛み始めたのでした。

普段薬を飲まない私が、鎮痛剤を飲んでひと晩様子を見ました。翌日も収まらないようなら歯科を受診しようと思いました。

しかし、翌日はたと気づいたのでした。これは、単なる痛みを軽減するための出来事ではないと直感的にわかりました。これは何かに気付くために起こっている痛みなのだと・・。


先月終えた「自己認識クラス」で取り組んだ、疾患における「症状とのワーク」をやってみるとよい!と強く感じたので、テキストを引っ張り出してやることにしました。

歯茎の痛みにフォーカスして、その症状を作りだしているエネルギー、そしてその症状のエッセンスを見出すワークに取り組んだのでした。

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すると、痛みとして私に表れていたのは「変容に抵抗するエネルギー」であることに気付きました。

心の一番奥底にあったのは、美しく青く光輝く丸い大きな宝石のようなものであるのに、それを握りしめて私は「動くのが怖い!!」と泣き叫んでいたのでした。

自分が動くことで、これまで手にしていた「幸福」と私が名付けているものが、壊れていってしまうのを怖れていました。

アカシックリーディングでのメッセージから繰り返された「自由」とは、この手にしていた確固たる「幸福」さえも超えていく自由だったのだとわかりました。

自分が自分自身であるための自由は、従来の幸せの定義を遥かに超えていくものでした。

そして実は、私はそれを深いところで渇望していたのだということに気付いてしまったのでした。

泣いて泣いて泣きました。

謎が解けてしまって、ぼーっとなりました。

ワークの後は、まだ頬が腫れて痛みもかなりありましたが、もう一錠痛み止めを飲んだら、歯医者に行く必要はなくなるのをなんとなく感じました。

そして一晩明けたら、予想通り、嘘のように痛みは全くなくなっていました。(頬はまだ腫れていて輪郭が変わったままなのに、痛みがないのが不思議でした)

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その後は、痛みに紛れて遠のいていた、私がすべきことがクリアに浮かびあがってきました。

少し前からお知らせのように何度かやってきていた「あること」を、夫に話をして伝えることでした。

それは、これまでの夫なら、それを伝えたら多分切れてしまって、離婚騒動に発展しかねないことでした。

しかし、これまでの一週間で起こったことで、私にはもう進むしかないのだとわかっていました。

心を込めて、正直に、自分が感じていることを全部伝えるつもりで夫と話をしました。


その結果、私はこれまでより更なる自由を手にすることになりました。

夫と一緒にいながらも、私は私の望む未来へと向かうことへと一歩進んだのでした。

二十年前の私には想像さえできない現実を、今ここに生きる自分になりました。

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その日の夜、この大きな変容についてつうりさんと仲間達にシェアしたら、「歯は大きな自己イニシエーションの時に腫れるんだよね」と言われました。

以前、シャーリーマクレーンが見えない存在とのチャネリングで同じ事を言われていたのを読んだ事があったので、もしかしたらと思っていた通りでした。

そして驚くことに、同時期に私と全く同じ症状を起こしていた仲間が更に二人いたことが判明したではありませんか!!

自己認識クラスの三ヶ月間が終わり、サポーターとして関わっていた私達も生徒さん達とおなじく、大きな変容の波に背中を押されていたのでした。

起こるべくして起こっている流れでした。


余談ですが、後で気づいたら、私がワークして号泣して次に進む決意をして現実が動いたのは、8月8日、ライオンズゲートが開いた日でした。(星の影響ってやはりあるのだな~と改めて思います♪)

長い振り返りでした(笑)ここまで読んで下さった方、ありがとうございました!


結論。もう抵抗しても何しても、起こることは起こるし、進むか進むないかは全て自分次第・・ですね(笑)

ただ、開いた扉の先には、誰にとっても未知の喜びが待ち受けているのは、多分間違いないようです。







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「アカシックガイドセッション」から始まった変容の波

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人の変容のプロセスをサポートする機会を得るということは、同時に自分自身も更なる変容のプロセスを(好むと好まざるとに関わらず・・)進むのだということを、このところ改めて体感しています。

それはまるで注ぎ込んできたものがカップから溢れるようなタイミングで、先日私に起こりました。


「アカシックガイドセッション」と名付けられた、齊藤つうり氏が新たにメニューに加えたセッションがあります。

それは従来の「アカシックリーディング」とはある意味反対のアプローチで、セッションを受ける本人がリーダーの誘導によりアカシックに触れるのです。

先週末、彼のスクールでそれをワークするために、サポーターの私もあらかじめ体験してみることにしたのでした。

前日にそれを体験していたサポーター仲間のIさんから、「あれすごかったよ!絶対いいからやったらいいよ!」と言われていたので、実はちょっと楽しみにしていた私でした。

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リーダーと向かい合って座る通常のアカシックリーディングとは全くスタイルが異なり、私は目を瞑って立ち、つうりさんの誘導の下、感じることを身体の動きを使って表現しながら、どんどん自分自身でアカシックに触れていくのでした。

その時のセッションでは、今の自分に影響を与えている過去世の情報へとアクセスして行きました。

それが何であるかは皆目見当もつかなかったのに、私の脳裏にはやがて中世の石造りの家々が視えてきました。

あっという間に、私のハートの奥が悲しみで満たされていくのがわかりました。

つうりさんの穏やかな声の誘導に従い、私の意識はどんどん中世のその時空に入っていきました。

やがて、私にはその体験で何が起こったのかがすべてわかりました。

人々に何かを伝えている私に対して、たくさんの人々が反旗を翻し、最初は私に感謝していた人達までもが、私を口々に糾弾していたのでした。

「なぜわかってくれないのだろう?」「真実がなぜ伝わらないのだろう?」

私はその人生では絶望に打ちひしがれて生を終えたようでした。

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そうして、その人生での気づきが今の私に訪れました。

その人生での私はごく普通の衣服を着た、ごく市井の人間の一人でした。何かを伝えている人と言うには、あまりに地位も肩書きも知名度もない人間でした。

そういうものにまったく価値を見出していなかったその時の自分に気づきました。それは「相手に伝える」という時に、同じことを伝えても伝わりにくいという人間の社会の仕組みを無視していたことだとわかりました。

今生きている私に必要なメッセージは、まさにそれでした。

「使えるものは使え!」「人間界の事をもっと知りなさい!」という感じでした。

これからスクールが始まるというのに、涙が流れ続けて、朝から化粧が剥げて困りました(笑)

私の中の深いところで、何かのスイッチが入ったのがわかりました。

そして、この後やってくる一連のメッセージは、ここからスタートしたのでした。

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私も普段リーディングセッションをする側の人間ですが、クライアントが自分でアカシックに触れ、体感するというこのやり方の素晴らしさには感動しました。

通常のアカシックリーディングでは、所謂アカシックに触れているのはリーダーの方なので(クライアントがリーディングをする人なら、その体感は違いますが)、クライアントは時には??という風に、お腹に落としきれないこともよくあります。(情報が、自分の見たくないものだったりすると尚更です)

しかし、自分自身でアカシックに触れるということは、視たものからある意味逃れることはできません!笑

サポーター仲間のIさんも、前日はぼろ泣きしたと言っていましたが、ここまでダイレクトに情報に触れると、それは肉体の感覚を揺さぶらずにはいられないものとなります。

そして視たもの感じたものは、自分自身で触れたものですから、誘導するリーダーを疑うようなことも起こり得ません。

なぜこれまでこの方法が流布していなかったのだろう?と思うほど、感心&感動の体験でした。


その日のスクール(ブッダプログラム・アカシッククラス)では、生徒さん達がペアを組み、お互いにそれをやってみました。

ある人は泣き、ある人は叫び、ある人は笑っていました。

大きな変容の波が教室を覆っているのがわかりました。それは、パワフルで美しい波でした。

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私の変容の波は、この日のアカシックガイドセッションをきっかけに、一気に私を大海原へと押し出し始めました。

週末のスクールを終えて帰宅してから一週間ですが、私の人生のステージが確実に変化したのを感じています。

長くなるので、続きの話は次回に・・(笑)



ブッダプログラムでの齊藤つうり氏のアカシックガイドセッションの受付は8月20日から始まるそうです。詳細は以下でどうぞ↓
https://ameblo.jp/turi-saito/entry-12503792036.html






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「心からやりたいこと」がたどり着く場所

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やりたいことと、そうでないこと、その違いは明白です。

「徹夜で頑張って試験勉強した!」とは言っても「徹夜で頑張って漫画を読んだ!」とは言いません(笑)

面白い漫画やドラマにはまった時は「面白くてやめられなくて、気づいたら夜が明けていた!」というのが正しい表現でしょう。

私自身もハマるとやめられない度合いが高いタイプです。その昔友人から借りた録画ビデオ(キムタク主演の「ロングバケーション」・・古っ!)を見始めたら、まるでタイムワープしたみたいに、気づいたら朝になっていて驚いたことがありました。

旅行先を決める時なども、飛行機の航路や宿泊先を探し始めると楽しすぎて止まらなくて、パソコンの前に一日中座っているなどざらにあります。(家族からはオタクと言われています。笑)

気持ちはもっともっととなっているのに、身体が悲鳴を上げるので止めざるを得ないことも多いです。(ああ、屈強な身体が欲しいです。笑)

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昔は本や漫画やドラマなど、どちらかというと趣味的なことに時間を忘れるほど没頭することが多かったのですが、今は「仕事」と呼べるものに関わることに熱中できることが、本当に幸せだなと感じています。

それは、インプットと呼ばれる行為がアウトプットと呼ばれる行為へと展開され、自分一人ではなく、他の人達と繋がる世界での喜びへと昇華するものだからでしょう。

どんなに忙しくても、やることがたくさんあっても、嫌だとは感じないということ。そこにやりがいを感じ、創意工夫する喜びを感じ、それ以上に自分以外の人々とシェアできる喜びがあるという事。

漫画やドラマを見る楽しさも格別ですが、自分以外の人と関わり、自分の中にある才能を発揮し、そこに報酬まで得る事ができるという「仕事」を手にすることは、私にとっては、子育てで味わった充足感以来の「生きている幸せを感じる」ことです。

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しかし、「好きなことだけして生きていくなんて無理!」という人もいるかもしれませんし、それもある意味真理です。

私は長い間主婦業を主体に生きてきたので、今でも家事のほとんどをやっていますが、それを放棄するには無理があります。(家事は基本好きではありませんが、夫はもっとやらないしできないので・・)

でも、そこに自分なりの喜びが付け加えられるように、色々小さな工夫をして日々取り組んでいます。(勝手に体が動くほど慣れている家事の時には、自分が聞きたいセミナー音源を聞いたりしています。きょうする家事の項目をメモしたノートに、終わったものをチェック(ㇾ)するという単純なご褒美をあげたりもします←これは子供の勉強にも仕える手です♪)

そうして「あまり好きではないこと」も「楽しく取り組める」ように工夫することで、一日の大半を幸せに過ごすことが可能になっています。

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現在私は、齊藤つうり氏が代表のブッダプログラムのスクールにサポーターとして関わらせてもらっているのですが、自分の「心からやりたいこと」を突き詰めて仕事にしている彼らの姿は、いつもまるで小学生が遊びに没頭しているように楽しそうで、そして生き生きしています。

そしてそれは彼らだけのものには留まらず、日々多くの人生を変容させる奇跡を生み出しているのを目の当たりにしていると、「心からやりたいこと」をする人のパワフルさと、それが導きだす結果の素晴らしさに感動するばかりです。

実は先週末、現在開講中のアカシッククラスのお手伝いをしていたのですが、準備の際やペアワーク(人数が奇数だったので)に入った時に私にやってきたメッセージが何度か重なったのでした。それは、「やりたいことをやって、行きたいところへ行く。私は自由だ!」というようなものでした。

家族や周りの友人にもしそれを言ったら、これ以上自由になるの??と訝しがられそうですが(笑)、私自身にとっては、自由の度合いがまだまだ足りないらしいのです。

心からやりたいことで人生を埋め尽くすこと・・多分、それ以外に私は自分を本当に「自由だ」とは定義しないのでしょう。

アカシックに触れ、自分のエッセンスに触れることで、私は私のあるべき姿を知りつつあります。

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人生とはプロセスそのものなので、完全にそういう姿になることを求めても完全にはなり得ませんが、そこへ向かって進むプロセスの体験は可能であるし、そうすることが人生なのだと思うのです。

十数年前の私が「面白くてはまっていた時間」とは、真夜中に一人でビデオを見ていた時や、友人と愚痴交じりのおしゃべりをしていた時でした。

それらを楽しいと自分では思っていたのですが、実はそれは「心からやりたいこと」そのものではなく、本心からの「やりたいこと」をしていない自分が、逃避行動として選んでいた「やりたいこと」だったのだなと今ならわかります。

試験前日なのに勉強せずについ漫画を読みふけってしまう時みたいに、一見「やりたいことをやっている」ように見えるのに、その後に罪悪感や空しさがやってくるというのは、逃避行動として選んでいる「やりたいこと」なのだからでしょう。

当時毎日にようにおしゃべりしていた近所の友人とは、気づいたら一年に一回道ですれ違って挨拶を交わすだけの関係に変わってしまいました。

私が逃避行動をやめて、心からやりたいことへと向かう道を歩き始めたことで、お互いの傷をなめ合うような関係性だった友人とは、もうその関係性では一緒にいられなくなってしまったからなのでしょう。(友人のプロセスがどうなっているのかは知らないのですが、私達二人の間にあったものは、もう存続できなくなってしまったということです)

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「やりたい」と感じることには段階があるように感じます。

あまりにも窮屈に自分を縛り付けていた人は、漫画を読みふけるようなことから始めてもよいのかもしれません。

買いたいものを買うとか、行きたいところに行くとか、徐々に自分への許可度を上げていくことで、やがて自分でも封じ込めて忘れ去ってしまっていた「心からやりたいこと」に気が付いていくことでしょう。

そして個々人が「やりたいこと」に自由に取り組み始め、それをとことん深めていくとき、それは個人のレベルに留まらずに、やがて静かに他の人々にも影響を及ぼしていくのでしょう。

そういう流れが地球規模でやってきているのを感じます。

流れに乗るのも乗らないもの個人の自由なのですが、川の流れに逆らうことで水を飲んだり溺れたりしやすくなるのも感じます。

しっかり前を向いて、リラックスして流れに乗ることで、前方にある岩や川の蛇行にも気付きやすくなります。

そうしてやがて川は海に流れ込み、想像もしなかった広く大きな海が眼前に広がるのを見ることになるのでしょう。

「心からやりたいこと」がどこに辿り着くのか、まだ見ぬ広い海へと向かって、きょうも私は流れに乗って進んでいきたいと思うのです。



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「起こることはすべて完璧で、世界は自分の投影でしかない」のか?

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「起こることはすべて完璧で、世界は自分の投影でしかない」と言われても、何か(俗にいう)ネガティブなことが起こった時には、それをどう扱えばよいかに悩むものです。

先日、久々にど~んと落ち込むことが起こり、ここのところテーマにしていたこの命題に挑戦せざるをえない体験をした私なのでした(笑)

それは、ちょっとした直感というか予感を無視したことから始まりました。

用事があり、いつもは行かない大型ショッピングセンターに行かなくてはならなかったのですが、なんとなく気が進まないのを左脳の合理性で振り払い(第1の無視)、そこへ向かいました。

そして、駐車スペースを探していた時に、黒光りしている大型高級ワゴン車の隣のスペースを見つけ、ちょっとしたNOが来たのに(第2の無視)、入口に近いからとまたもや左脳の合理性を働かせてそこに駐車しました。

なんとなくその車から少し離れたほうがよい気がしたのに(第3の無視)、狭めの駐車スペースではやはりギリギリで、ドアを開ける時に注意すればいいかとまたもや自分を瞬間で納得させ(第4の無視)、私はドアの開閉に気をつけて降りたはずなのに、ピンクの買い物カゴを持った手の距離感がずれていて、カゴは軽い音を立てて車に当たったのでした!

ものすごく瞬間の判断で、それは傷がつくようなものだとは思えず(第5の無視)、私はそのままさっと歩き出してしまいました。(立ち止まったほうがよい気がしたのに・・第6の無視)

この小さな無視の重なりは、あっという間に私の現実に干渉し、なんと車の中から女性が飛び出してきて、私に待てと叫びました(汗)

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ほんの短い間の出来事でしたが、私は自分がしたことにちゃんと気づいていたので、ものすごく怖い顔と威圧感で私を責めるその女性と一緒に、車を検分したのでした。

しかし、カゴでつけたような傷はほぼ見当たらず、女性も責めたくてもその場では責める材料も見つけられず、とりあえず私の電話番号と名前を控えました。

ホッとした私は、丁重に女性に謝り、ショッピングセンターに入って用事をしていました。

しかし15分ほどしてから、その女性から携帯に電話が入り、なんと警察を呼んだからすぐ来るようにとのことで、驚きました。

どうやら、女性は旦那さんと電話をして、警察を呼ぶように言われてそうしたみたいでした。

しかし、私がその場に行った時には、もう警察官は立ち去った後で(なぜならそれは交通事故ではなくて民事的なことでしかないので)、女性は私が立ち去った後に見つけた傷を指して、それを弁償するようにと言うのでした。

その小さな削れたような傷は、私のカゴがつけたとは思えない傷でしたが、話をしていると、ほんの少し前にその方は駐車場で当て逃げされて、それを自費で修理した直後だということがわかりました。

そのせいもあり、異様に私に圧をかけて怒っているのだとわかりました。今回のことのみではなく、その時の怒りが上乗せされているのだと理解しました。

これは運が悪かったというか、何なんだろう?と、私は一人心の中で考えていました。

そしてやがて、女性にたしなめられた言葉(正確には覚えていないのだけれど、もう少し慎重に動け・・のようなこと)が、ここしばらく夫から言われていたのと同じニュアンスだということに気づいたのでした。


冷蔵庫の開け閉めとか、私はどうも行為が乱暴なのだそうです(苦笑)「そんなにがんこに閉めると、壊れるだろ!」と夫に叱られることが多かったのです。

少しは気をつけるようにしてはいましたが、「大袈裟で細かいやつ!」とどこかで彼の注意を無視していた私がいたのでした。

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車の傷に関しては、以前の状態を証明する手段もないので、言われるがままに了解しました。

彼女の怒りが収まるまで、ただ丁重に謝り、もう一度警察官を呼び戻して私に説明させるというのにも素直に従いました。

警察官からも粛々と注意を受け、女性に免許証も提示しながら、私は内なる場所で会話をし続けました。

自分の無視したすべての直感と、夫の注意への無視や、気づかれてないだろうと車から立ち去ろうとした私の小さなズルを思い返し、静かに反省していました(涙)

すると、警察官が立ち去った後くらいから、その女性の言葉が徐々に柔らかくなり、顔にはやさしい微笑みさえ浮かべてくれるようになったのです。

傷の件は車屋に持ち込むことは変わってはいませんでしたが、「お人柄がわかったので」と言って下さり(涙)、穏やかに別れることになったのでした。

しかし私は、黒光りする高級ワゴン車の修理費用というペナルティーが来たことがショックで、次の日の朝まで落ち込みからはなかなか出られませんでした。

なので朝から落ち込みから出るための思いつく限りの行動をとり(笑)、起こったことは完璧なのだということを本気で受け入れ、自分を観察するものとしての場所へ意識を移すことに集中しました。

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やがて落ち込みはどこかへ消え、平常心に戻っているのに気付いた時に、車屋さんから電話がかかってきたのでした。

なんと修理費用はゼロでした。

ほんの少しカゴの塗料が付いていただけなので、お金をかけずにすぐ取れました、とのことでした。

たぶん指摘された傷は、カゴでは付かない類のものだと、車屋さんが判断されたのだと感じました。(もと専門職の夫が写真を見てそう言っていたので、そうではないかなと思います)

そして、あの時怒っていた女性は、多分私に同情してくれたので、きっとそれ以上のことを求めなかったのでしょう。

泣きたくなるほど嬉しくなりました。一気に幸せになりました。そして、落ち込んでいた気持ちは完全に払しょくされて、その勢いで車の女性に電話してしまいました。

もしかしたら、怒りすぎたことで向こうの方は気まずかったのかもしれません。

私の電話は迷惑だったのかもしれませんが、彼女の時間を使わせたのは私の不注意のせいなのは間違いないので、もう一度丁重に謝り、今後気をつけることを(心の中で夫にも合わせて)誓いました。

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今回の出来事は、まさに「起こることは完璧で、世界は自分自身の投影でしかない」ことを、小さなネガティブバージョンではありますが、とことん向き合うために起こったのだと感じました。

もし一瞬でも、私がその時起こっていることを他人に責任転嫁しようとしたり、自分の不運を嘆いてその女性に反発したりしていたら、この流れにはならなかったのを感じるのです。

私が「いいひと」だと言っている話では全くありません。

事実、呼び止められなかったら、私は自分の気づきを無視して立ち去っていましたから!笑

私が自分の人生に完全に責任をとるかどうか、人生の流れの中に観察者の視点を持って自分をゆだねられるか・・のものすごく切迫したシュミレーションゲームのような体験を与えられたのだと思いました。


これは、横浜でサポーターとして参加させてもらっているブッダプログラムへ向かう前日から到着直前の間に起こりました。

そしてその歓喜もつかの間、その日は翌日行うワークのシュミレーションをする日で、そこで取り組んだワークで、私は「無差別殺人犯」でさえもが内なる自分の世界への投影であることを体感し、衝撃を受けて疲弊することになったのでした(苦笑)

この話題は、また次回に・・。
(↑深いです。そしてショックです。笑)





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