思うこと

憧れの奥にあるもの

誰かに憧れの気持ちを持ったり、何かをうらやましく思う時、人は二通りの反応をします。

素晴らしい人や物事を見て、「すごいな~!自分もそうなりたい」と密かに努力を始める人と、「あれは特別な人にだけできることで、自分には無理だよ」と諦めてしまう人に分かれます。

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例えば、サッカーをやっている少年少女なら、有名なサッカー選手を見て、「すごい!」「あんな風になりたい!」「いや、自分は才能がないから絶対になれない」・・などなど、色々反応が起こるでしょう。

しかし私は、サッカー選手には一切反応しません。なぜならサッカーには全く興味がないし、サッカーも全くできないからです。

つまり人は、自分にそうなる可能性がないものには全く反応しないのです。つまり、反応があるものには、自分がそれに近づくことは可能だということです。

自分にはできない、自分とは違う、と思ってしまう人は、人が何かに反応する時、それは自分の中に同じ要素があるのだということに気付いていないのです。

それはとてももったいない事だと思います。

なぜなら、人や物事に憧れる気持ちを持つというのは、自分の可能性の種を見つけることだからです。



しかしここで、一つ気を付けなくてはならないことがあります。

それは、サッカー選手に憧れたなら、必ずサッカー選手になれるのではないということです。

憧れから努力を始め、それが花開いて実を結ぶ人も確かにいます。

しかし、どれほど憧れ、努力をしても、決して選手にはなれない人もいるのです。

それでは、なぜサッカー選手に憧れたのか?ということになります。

それは、サッカー選手というものを見た時に、自分が感じる何か、そこにある「質」・「要素」に、自分が為し得たいと思うことが潜んでいるからです。

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私の娘は、小さいころからクラッシックバレエを習っていました。踊ることが大好きで、素晴らしいダンサーたちに憧れ、自分も将来はバレリーナになりたいと願っていました。

しかし、どれだけ努力をしても、バレエの世界には厳しい条件がたくさんあります。容姿・スタイル・経済力・運・・と、自分だけの努力では乗り越えられないことが目白押しです。

自分が納得のいくまではバレエを続けていましたが、高校に進学したときにすべて諦めました。

では彼女の憧れは、一体何だったのでしょうか?


憧れるものの中には、自分の可能性の種があるというのはやはり真実です。でもそれは、文字通り実際にバレリーナになるということだけではないのです。

娘は、音楽を自分の身体で表現することが好きだったのです。そうすることで、自分が自分らしく、生き生きと輝くことができることを知っていたのでした。

バレエで表現していたその音楽は形を変え、高校では合唱部に所属して、仲間達と美しい音楽を奏でることで、素晴らしい体験をたくさんすることができました。

それが何かの才能として仕事になったわけではありませんが、今は小さな子供の母親として、いつも一緒に歌ったり踊ったり、とても楽しそうに過ごしています。

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憧れる対象が現れた時、何かをうらやましく思った時、それはその人にとってのチャンスです。

今の自分はまだ手にしていなかったり、手にしているけれど十分に花開いていないことに取り組むことで、より自分らしく輝いて生きることができる「要素」と「質」がクリアになります。

自分の魂を喜びで震えさせることは何かという、ヒントがそこにはあるのです。

誰かに、何かに憧れることは、とても素敵なことです。

自分が何に反応するかを注意深く観察し、その要素を伸ばしていくことが、人生の質を変えていくのだと思うのです。





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今年3度目のシフトの波

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あと1~2日で、これから1ヶ月続く今年最大のシフトの波がやってきます。

2017年は4つのシフトの波が訪れるという、とても大きな転換期です。

ザ・グループによると、それぞれの波が2012年のシフトに匹敵するようなものだということで、世の中の情勢や、地球の自然環境などに大きな変化があるのは当たり前だなと感じます。


前回の記事でも触れましたが、もう何かをカムフラージュして生きていくことは難しいエネルギーの世界になりました。

そうではない、と魂が知っていることを、頭で無理やり納得させて生きる人生は、うまくいかなくなってくることでしょう。


個人セッションなどをしていると、自分はそれが観念・信念だとは思っておらず、皆がそう考えている常識だと思っていたことが、実はそうではないということに気付く瞬間が訪れることがよくあります。

その時その方は、本当に驚いた顔をされて、次に何かから解放されたような緩やかな表情になります。

観念や信念は、人が自分自身のバイブレーションで生きることを制限してしまう一番大きな枷のようなものです。

そして、自分ではなかなかそれに気づかないからこそ、観念・信念と呼ばれています。

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一人一人に、その枷から自由になる機会が訪れています。

そして社会そのものにも、同じことが起こっています。


常識は変わります。

当たり前だと思っていたことが、当たり前でなくなることが、これからは益々増えていくでしょう。


自分はどのように生きていくかの答えは、いつも自分が知っています。

自分の核となるバイブレーションで生きていくと決める時、それを阻んでいるものが浮かびあがってきます。

その浮かび上がったものが、もう今の自分に必要ないならば、潔く手放す時が来ているのです。

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大きなシフトの波は、これから自分がどのように生きていくかを明確にすることで、乗り越えていくことが容易になるでしょう。

新しい道を自分が創っていく時がきています。

怖れは現実化します。そんな現実はもう必要ありません。

ハートの声を聞いて下さい。魂の計画、望みを生きる時がやってきました。

自分自身を信頼し、社会の変化・地球の変容に動揺しないで下さい。

それは、より私達が本来の姿で生きていく世界への変遷の現れだということを理解して、自分自身にフォーカスして生きていきましょう。





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「ノー・モア・シークレット」の世界

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十数年くらい前からかと思うのですが、社会全般において、長い間暗黙のタブーとなっていた事や、公然の秘密と言ったような事、もしくは見て見ぬふりをしてまかり通っていた習わしのようなことが、次々に暴かれたり、事によっては罪を問われたりしてきているように思います。

これは、私達が既に「ノー・モア・シークレット(もう秘密はない)」という世界に入ってしまったことを表しており、お互いが別個の人間として秘密を隠し通せる世界は終わりを告げ、もう私達はどんどん繋がって一つになっていっているという事の証明のような現象です。

意識的にわかったという状態までにはなっていなくても、なんとなくわかってしまう・・というような事が、ごく普通の人にも頻繁に起こっているのではと思います。

また、生まれてきている子供達の発話が遅くなっていることにも、気づかれている人もいるかもしれません。

彼らは、言葉の必要のない世界からの転生をしてきていることが多く(つまり、テレパシックに会話をする世界)、言葉を話さなくてはこの世界ではまだ通じ合えないのだ!と気づくまで、ずっと話さない子供さえいます。(そういう子供達は、3歳くらいにいきなり長文を話し始めたりします。)

子供達の発話に関しては、祖父母や保健所で色々言われて悩んでいる若い親御さんも多いかと思いますので、親がちゃんと子供と意志が通じていて不自由がないなら(例えば、犬とは、会話をしないけど気持ちのやりとりできるように・・)、ちゃんとテレパシックには伝わっているので、そのうち気付くと話し始める事が多いことを知ると、気が楽になるかもしれません。

一時テレビで芸能人の不倫の暴露が相次ぎましたが、あれも「ノー・モア・シークレット」現象の一つです。秘密を持つことがもう難しい世界になってしまっていることを知ることは、何かを隠し通そうとしている人には、残念なお知らせなのかもしれません(笑)

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ではなぜそのようなことが起こっているのでしょうか?

私達は、個々が分離していた世界から、お互いが一つであるという統合の世界へと移行しつつあるからです。

スピリチュアルの世界では、サイキックと呼ばれる人達や、リーディングをする人達が活躍していますが、そういうことをできる人はどんどん増えていっています。

私達は繋がっているので、他の事が自分のことのようにわかる・・というのは、決して稀な才能とかではないからです。

古来からある「虫の知らせ」というのは、その現象の一部です。それは、普段は気にせずに通り過ぎさせている情報を、それが緊急事態であるがゆえにキャッチするということです。誰にでも起こること、つまり誰にでもできることなのです。

私は、誰かが強く私のことを考えていたり、会いたいと思ってくれたりすると、その人の顔が頻繁に頭に浮かびます。用事があるなら電話してくればよいのに(笑)と思いながら、こちらから連絡した方がよいと感じる時のみ、メールしたりします。(相手は、大抵そのタイミングにびっくりします。笑)


私達はどんどん繋がってきています。ですので、自分と不調和なものを避けたくなるのは当たり前です。それでも私達は繋がっています。

不調和なものと調和するには、音楽の和音のような方法を使うのも一案です。例えば、自分が低いドを出すのが無理なら、それと調和する高いソの音を出してハモるのです。

それでも、近い和音でなければ、一抹の違和感があるかもしれません。でも、不協和音でないだけ心地よいはずです。

少し離れた和音しか奏でるのが難しい人とは、長時間一緒にいるのはしんどいかもしれませんが、無理せず自分のOKな時間を共に過ごせばよいのだと思います。(私は、父母とはそのように接しています。)

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そして、「ノー・モア・シークレット」というのは、他のことだけではなく、自分自身のことでもあります。

自分が自分に嘘をついていること、本当はやりたいことがあるのに我慢していること、嫌なのに無理してやっていること・・などなどが、どんどん浮かび上がってきます。

もうどこにもシークレットを持つことはできなくなるのです。

これは辛いことではないと、私は思っています。むしろ素敵なことです。

もし、そんな世界無理だ!と感じる人がいるなら、その保たなければならない秘密は本当に自分に必要なのかを見てみるのはどうでしょうか。

全ての人が自分の心のままに生きる世界、どこにも秘密がない世界は、なんとすがすがしく心地よい世界でしょう!

既にもう私達は、統合の世界、秘密のない世界、すべてが繋がっている世界を生きはじめているのです。





26日(水曜)に開催です。まだお席に空きがありますので、ご興味のある方はご連絡下さい。

1dayセミナー開催します♪(詳細は、クリック!)

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待ったなしの流れに、私達は押し出されている

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エネルギーの流れのようなものが、これまでとは違うように感じます。

今までと同じように動いても、現実が以前とは同じようには反応しないというか・・。

「人事を尽して天命を待つ」と言いますが、これまでは意図と結果が、ある意味とてもわかりやすく繋がっていくのを体験することが多かったのに、このところは以前とは全く違う感覚で現実が流れていきます。

「再調整」という感じのキーワードが降りてきます。

全てのものがふるいにかけられ、これからのエネルギーに合っていくものしか動いていかないのかなと感じます。

今までOKだった人間関係においても、何故OKだったのかわからないような出来事が起きたり、自分がハートの奥から望んでいることしかやることができない自分を感じたりします。

そして、たとえ今現実がうまく流れていかないように思っても、あくまで自分の感じることを、エゴのフィルターを通さずに感じ取り、それを実行していくことが大切な時のようです。

7月下旬から8月一杯にかけて、それが多くの人に起こっていくことでしょう。

これから先自分がどう生きていくか、この世に生まれ落ちた自分の目的は何なのかを知り、魂の望みを生きていくことを自分に許可する・・そういうことから目を背けていくことはできなくなっていくように思います。

見えていたようで、実は見えていなかったこと。

本当は見えているのに、知ることが怖いので、自分が見たいように見てしまってきたこと。

それらに気付くことは、自分の決意次第です。


答えはいつも自分の中にあります。

怖れているのは、自分の今の世界が変わってしまうことです。

しかし、その「今の世界」は、本当にあなたにふさわしいものなのでしょうか?

あなたの魂が満たされ、今ここに生きていることが喜びに満ち溢れている世界なのでしょうか?


DV被害にあっている人や、虐待にあっている子供は、どんなにその環境が苦しいものであっても、その現実を変えることに抵抗することが多いと聞きます。

確実に今より幸せな未来があるだろうことが想像できても、今ここの現実から変化することに怖れを感じ、自分を害する相手から離れることを拒否するというのです。

傍から見ると、なんと不思議なことだろうと思うかもしれませんが、それと同じようなことを、多くの人がやっています。


もし、一か月後にこの世を去ることがわかったとしたら、今やっていることを同じように毎日やって、残りの一ヶ月を過ごしますか?

それにYes!と答えられるなら、あなたは魂の望み、計画を生きていると言えるでしょう。

そんなの絶対にNo!だと思った方は、なぜそこに居続けるのでしょう?

それは、DV、虐待被害から逃げ出さない人達と同じ事なのです。


人は、自分の思う通りに人生を生きることができるのです。

苦しい場所に居続けるのは、それを選択している自分がそこにいるからです。

それは同時に、選択を変えさえすれば、別の人生を生きることもできるということでしかないのです。



地球の大きな変容が起き続けています。

地球の一部である私達人間は、それと無関係でいることはできません。

何年もかけて、少しずつ変わっていこう・・というような猶予は多分もうありません。

ハートの声に耳を傾けて下さい。

あなたの深いところから聞こえてくる言葉を受け取って下さい。



道は、あなたが足を下した場所からできていきます。




7月23日(日)、26日(水)にセミナーを開催します。
詳しくは以下よりどうぞ↓


「1dayセミナー」開催のお知らせ♪



子供は育つようにしか育たない・・と思う(笑)

一昨日から、他県に住んでいる長女が、1歳の孫娘と一緒に里帰りしています。

じぃじとばぁばは、いそいそとト〇ザラスでプールを買って、数日前から膨らませて、準備万端でした(笑)

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孫娘は、長女の小さい時と様子がとても良く似ています。

自己主張が強くて、食いしん坊で、音楽と踊りが好きで、赤ちゃんの時はあまり寝なかったし、大声で夜泣きをするので大変でした。

長女が子育てに奮闘している様を見ていて、よく自分も3人の子育てをしてきたものだと、今さらながらに感心します。


私は、子どものエネルギーの美しさには魅了されるのですが、決して子育てが好きなタイプではありませんでした。

自分一人の時間がある程度確保されないと、煮詰まってしまって苦しいタイプでした。

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          (長女が大好きだった「ノンタン」より)

同じ絵本を繰り返し読むのが苦痛で、こんな子供の本ではなくて自分の本が読みたい!と、いつも思いながら、「一生懸命がんばって」絵本を読んでいました。(私の読みたい絵本と、長女が読みたい絵本も違うのです・・涙)

そしてそのように思う自分を「ダメだ」と思い、可愛い盛りの子供達との毎日は幸せに溢れかえっていたはずなのに、今思い出すのは、辛かった自分の気持ちの方がずっと多いのです。


なので、今ばぁばという立場になって、このポジションが私にはとても合っているのを感じています。

「孫は来るもよし、行くもよし」と言うそうですが、まさにその心境です。

ずーっと一緒にいるのは正直しんどいですが、期間限定の触れ合いなら、昔なら腹が立ったようなことにも一切心は波立たず、孫が泣いてもわめいても穏やかなままで、理想の養育者の立場に居続けられます。

ただただ、子供の魂の美しさに触れて癒され、生きる力のたくましさに感動します。

何がそんなに違うのだろう?と考えてみると、やはり一番大きいのは、子育ての責任の全てを自分が請け負うのではないということと、3人を育て上げて、子育てに関して色々な事が見えてきたからなのだと思います。

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自分が子育てをしている時は、子供をどう育てようかといつも考えていたような気がします。

何を食べさせようか、何を与えようか、どのように教育したら良いか、何を体験させたら良いのか・・と、色々な情報も気になるし、自分がどう育てるかへの責任も強く感じていました。

もちろん、ある程度のことは、与える環境や信念体系に子供は左右されていくかもしれませんが、ここまで来て今感じるのは、子供は育つようにしか育だたないということです。

彼らが持って生まれた魂の資質が、どのように開花するか・・ただそれだけのような気がするのです。


長女は昔、幼稚園の年少の時に担任の先生から、「この子は精神的に問題がある子かもしれません。仲良しはNちゃんたった一人で、夏休みはNちゃんが里帰りして長期お休みだったので、ずっと誰とも話さず、毎日玄関でNちゃんが来るのを待っていました。お昼ごはんもあまり食べず、私達は腫物に触れるように扱っていたのです。」と言われたことがありました。

長女は当時、典型的な内弁慶で、外では神経質で人見知りでした。ある意味、大人の事もよく見抜いているというタイプだったので、警戒心も強かったのかもしれません。

その時通っていた幼稚園は、田舎に唯一あった「幼稚園」で、園の教育方針というのが、色々なことが「できるようになる」ことに力を入れていたようなところがありました。

その後転勤で引っ越してから行った別の幼稚園と比べると、子供個々の心の中を見るというより、とても表面的な「できる・できない」にフォーカスしていたのだなとわかります。

その時は、まだ新米ママだった私は、先生の言葉に自信喪失して、長女のことをとても心配したのですが、東京に住んでいた幼稚園教諭の親友から「その歳の子供は、一人でも仲良しのお友達がいるなら、全然心配することはないよ!」と言ってもらい、泣きそうなくらいほっとしたのを覚えています。


そして、その時「おかしい」と言われた人見知りだった長女は、今では見知らぬ土地でもどんどんママ友達を作り、毎日子供と楽しそうに暮らしています。あの時の心配は一体なんだったのだろう?と不思議なくらいです。

また彼女は、私ががんばってたくさん読み聞かせをした甲斐もなく(笑)、本を読むのは嫌いでもっぱら見るのはテレビばかりです。あれやこれやと教育の事を考え施したことは、彼女の今の根本的な生き方には、あまり影響を与えてはいないようです(笑)

同じように思っている人は多いようで、先日友人がFBにシェアしていた新聞投稿にも、良く似たことが書かれていました。


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しかし私は、「努力は実を結ばない」というより、子供はその元の種子のようなものが育っていくだけなのだと感じています。

ひまわりの種からはひまわりの花しか咲かなくて、どんなに薔薇がいいなと思っても、薔薇を育てるように種を育てては、すくすくと立派にひまわりは育たないだろうということです。


親の思う通りに子供を育てようと言う気が全くない・・というのが、多分今の私の祖母という立場でのデフォルト状態なのだと思います。

それは、長い子育ての間に、「あるがままの子供」を受け入れざるを得ない体験を積み重ね、そこから自分自身の「あるがまま」も受け入れられるようになったことでもあると言えるでしょう。

随分長い時間がかかりましたが、ようやく達したこの境地は、自分も相手も縛らず、ただただ幸せを味わえるありがたい心の在り方です。

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私の子育ての時より、ずっと子供と一緒の毎日を楽しみ、イラつくことの少ない長女を見ていると、本当にすごいなと感心します。

長女のお友達を見ていても、子育てを楽しんでいるのは、そのままの自分をしっかりと受け入れているママさん達のように思います。

平成生まれの子供達が親になる時代がやってきて、世の中はどんどん変わっているのを益々感じるこの頃です。



子供は育つようにしか育たない。

そして私達自身も、育つようにしか育たなかった結果としての自分なのだと知ることで、肩の力を抜いて、あるがままの自分を愛して毎日を生きればよいのではと思う「ばぁば」でした。





心屋さんの「前者・後者」論


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ファンの方には今さらかもしれませんが、昨日、心屋仁之助さんの「前者・後者論」について書いてあるのを目にして、なんとうまく表現されているのだろう!と、心から感動しました。

私は、この数年、人間の思考パターンや理解度の差違においてなかなか越えるのが難しいと感じてきた壁の存在を、ここしばらくは「発達障がい」という括りで光を当てることで理解しようとしてきました。

しかし心屋さんは、「前者・後者」という独自のネーミングで、見事にその差違を表されたようです。

 ・前者・・・

空気が読め、理解、理論、表現、処理能力が比較的高い マルチタイプ

  ・後者・・・

天然、癒し系、言葉をストレートに受ける 集中タイプ

自分が前者か後者かを判断する基準は1つだけ

 
 ●人の話を聞いてて、頭がシャットダウン(真っ白)になるか?


・怒られたり失敗したり、あせったときにすぐにパニック(混乱)になる
・難しい話や、まくしたてられると心の中にシャッターが下りて「しまう」
・思考がすぐにどこかに飛んで行って「しまう」

・説明を受けたり怒られている最中に、うわの空で他のことを考えて「しまう」

 

この質問の例にひとつでも「イエス」があれば、後者。

NO! ならば前者、という判断です。

 

(「心屋仁之助オフィシャルブログ」より)

※詳しくは、以下のリンクにまとめて色々書かれています↓

【永久保存版・全体概要】前者・後者は世界を救う?! 前者後者ってなんだ?


 
更に心屋さんは、『
現代の病気としてされているADHDや、LD,ADなどの学習障害系のモノも、実はただの「後者の特徴」であって、ただ「前者から見て自分たちと違う」ために「違和」として「病気」として扱われているのではないかと考えています。』と書いています。

これはまさしく、私が感じていた事と同じで、日常生活に不自由があるほどの差違がある場合は「障害」というカテゴリーを作るのもありかと思いますが、発達障害をめぐる困難や問題の数々は、単にこれまでメジャーだった「前者」よりも「後者」が増えてきた世の中の混乱なのではと、私は思うのです。

ただ、「後者」の特徴は、私が感じるには「グレーゾーンのアスペルガー」が一番近いという感じです。

そして、グレーゾーンのアスペルガーの方達が、これまでの訓練によって「前者」になりたがって、それがある程度はうまくいっても、根本的には自分が苦しいと言う、そういう問題がとても多いのではと思うのです。

私自身は、心屋さんと同じく「前者」だと感じます。彼の伝えていることは、おこがましいですが、いつも自分がお伝えしていることと酷似しています。

なぜわかってくれないのだろう!という、時には腹立だしささえ感じるようなもどかしさを感じる相手は、ほぼ「後者」の方達です。

そして、本質は「後者」なのに、「前者」に憧れて、そう生きることを自分にも課して来た方達の苦しみに、いつも寄り添っているような感じがします。

そして、奇しくも心屋さんも書かれているように、自分の在り方を全肯定することで、この世を生きるのを楽に楽しくすることから始まり、自分にないものは誰かの手を借り、自分にあるものを他と共有していくことで、すべての人達が幸せに共存して行く世界が広がることを、私は願っているのだということを、改めて感じることができました。

心屋さん、本当に素晴らしいです! 
このツールが、人々が楽になるために更に広がることを願っています。


要は、前者・後者をはっきりさせるのが「目的」ではなく、「自分を責める」「今の自分はダメだ」と責めるのをやめようというのが目的です。自分が前者か後者がわからない人でも

 「今の自分で、この自分でいいんだ、他の誰かになろうとしなくて、そのために頑張らなくていいんだ。できるものだけをやって、できないものは人に頼ればいいんだ」

 と、自分を全肯定するための、前者後者という「ツール」なのです。

(「心屋仁之助オフィシャルブログ【永久保存版・全体概要】前者・後者は世界を救う?! 前者後者ってなんだ?」より)

思い出す時がやってきている

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生きていて一番やっかいな感情は、自己否定感ではないかなと私は思っています。

誰かに嫉妬するというのも、その奥には自己否定感があります。

自分以外の人と競う気持ちも、それに勝つことで自己否定感を拭い去りたいという気持ちからきています。

「自己否定」の反対は「自己肯定」ですが、それを得るためには、「何かで成功する」、「何かで認められる」、「何者かである」ことを求めてしまいます。

しかしそうすることは、それが成し遂げられなかった時には、更なる自己否定感を持つことへと導かれます。



二元性の世界には、プラスの要素があれば、必ずマイナスの要素が存在します。どちらか片方のみ得るということはできません。

とてつもなく幸福な感情を味わうためには、とてつもなく不幸せな感情もまたどこかで味合わなければならない訳です。

私達が生きているこの3次元の世界では、光には必ず影が生じます。何故ならこの世は、その二つのコントラストを味わうために創られている世界だからです。


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では、自己否定感を手放すにはどうすればよいのでしょうか。

自己否定しないために、自己肯定できることを目指していては、ずっといたちごっこです。

自己否定している自分を、「ああ、私は自分を否定している感情の中にいるのだな」と、ただ観察すればよいのです。

観察者の中には、肯定も否定もありません。

その意識の状態は、3次元の光と影の法則を越えています。

あるがままの自分を受け入れるというのは、そういうことなのです。



自己否定している自分を観察していれば、やがてその否定の感情は消えていきます。

「そんなに簡単にはいかないよ!」、「だって私は自分がダメだという気持ちから逃れられない!」と言う人がいるかもしれません。

それもただ、「自分がダメだ」という感情を味わいたくて、自分が望んでそれを握りしめているのです。

そのことに気づけばよいのです。それを観察すればよいのです。

真理はとてもシンプルです。全ては自分次第です。


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とはいえ、私達は「この世を味わう人間の振りをするゲーム」をしに来たスピリットです。

ゲームが楽しいならば、いくらでも楽しんでいればよいのです。

でも、もうゲームをするのは終わりにしたい、人間の姿をしていてもスピリットなる自分に戻りたい、と感じている人もいるかもしれません。

今、どんな人にもそれができる波動へと、地球がシフトしています。

私達は、ただ決めるだけでよいのです。


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決めた人達が、次々と出会い始めています。

「思い出す」という作業を、共に始めているのです。

思い出すきっかけは、望めばすぐにやってきます。

すべては自分が創っている世界に、私達は住んでいるのです。


















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