震災の影響もあり更に過酷さを増した就職戦線で、果敢にチャレンジを続けていた大学4年の長女がようやく内定を手にした。

エントリーシートでの門前払いまでも加えると、チャレンジして砕け散ったのはこれまでに16社。噂には聞いていたが、いざ家族が実体験するとなると、傍で見ていても痛々しかった。


内定通知を手にしたのは、4次試験までの選抜を潜り抜けてのことだったので、彼女の喜びもひとしおだった。

当初から希望していた業界ではないのだが、就職説明会での人事担当の方のお話と人柄に感動し、仕事の内容は考えてもみなかったものだったが、会社の目指すところや尊敬できる上司がいる職場への憧れで受験したのだった。

面白い事に、二次試験・三次試験でのスピーチやデモンストレーションの準備をしている娘を見て、私の中にあった娘への先入観も良いほうに崩れ、思っても見なかった彼女の才能の片鱗を垣間見る事ができ、私自身感動があった。

アルバイトで旅費を稼ぎ、夜行バスで大阪や東京へと試験を受けに行って、他の受験者と交流したり会社経営者の情熱的なお話を聞いたりと、まだ雪が降っていたころから始まった彼女の就職活動は、さながら一連のワークショップか何かのように、彼女を鍛え勉強させ、悩んだり苦しんだり自己嫌悪に陥らせたりしながらも、静かにでも確実に彼女を成長させたと思う。

さまざまな体験を通し、これまでの自分を振り返り、これからの自分について考え、娘は柔らかく大きく広がっていったように思うのだ。



私自身はと言えば、若いとき学校を中退して就職情報誌で中途入社した経験しかなかったので、彼女の大学受験のときもそうだったのだけど、娘の体験を通して未知の世界を疑似体験させてもらえたような気がしている。

うちの二番目三番目の子供達は、お姉ちゃんのようなドラマチックな人生を望んでいないことは明白で、これまでもこれからも多分するする~っと人生の分岐点を軽く進んでいくような予感があるので、子供関係のドラマチック体験はそろそろ終わりなのかもしれないなと(まだ結婚や出産があるかもしれないけど・・)、ちょっとしみじみしてしまう。


幼稚園の年少の頃、典型的な内弁慶だった娘は、たった一人の仲良しのお友達が夏休みに北海道に里帰りして1ヶ月お休みしていた時、給食もしっかり食べられなくなり、幼稚園の玄関先を行ったりきたりしていたらしかった。

ちょうど三人目が生まれたばかりで目一杯だった私は娘の異常に気付くのが遅く、「腫れ物に触るように接していました。お宅のお子さんは余りに繊細すぎて、私どもには手におえません。この子はちょっと普通ではありません。」と言われ、なんて可哀想な目に遭わせたのだと泣いたのだった。

その幼稚園で言われた事が心に突き刺さり、藁をもすがる思いで当時東京で幼稚園の教諭をしていた親友に手紙を書いたところ、親友は「悪いけど、その幼稚園の先生は勉強不足にもほどがある。その年齢で仲良しのお友達を一人でもちゃんと作れる子は、立派に成長している子供だから!心配しなくてもいいよ。Nちゃんは全然大丈夫だよ!」と返事をくれた。

彼女の言葉を信じようと、娘に対して過剰に心配する事を手放し、時の流れはあっという間に20年近くを押しやった。

たった一人で、負けても負けてもめげずに進んでいくたくましさを身につけた娘の姿を見ながら、子供と共に生きてきた私の人生もまた、苦しみを上回る喜びに満たされていたのだと改めて思った。

人生に結果や答えはないのだな。
ほろ苦い経験も全て含めて、このプロセスがただ愛しくて、楽しくて、幸せなんだなぁ。


娘は新たな人生のステージで、この喜びと幸せに包まれて生きていってほしいと願っている。