断捨離のやました先生の講演音声をダウンロードして聞いている。(メルマガ登録者の特典です・・)

改めて意を新たにしたのは、断捨離は決して「お片付け」のためにあるのではなく、「本当の自分で生きること」を自分に許可し、そうでなかった自分とそれまでの人生をも受け入れ認めるためにあるのだということだ。

私自身はといえば、10年ほど前から俗に言うスピリチュアルな学びを徐々に深め、それらは結局のところ自分自身の内なる葛藤を手放し、ありのままの自分で今ここに存在することが生きるということだと知り、その道のりを歩んできた。

やました先生提唱の断捨離を知る随分前にも、カレン・キングストンさんの「ガラクタ捨てれば自分が見える」を読み、自分の持ち物の処分を通してエネルギーが動くことにも気付いていた。

年賀状を出すという行為を断捨離したのも「断捨離」を知る前だったし、高校以来の友人との縁も思い切って切ったのも実際の断捨離を始める前だった。

こう振り返ってみると、「断捨離」が先か「自分の葛藤解放」が先かを論ずるのもおかしなもので、この二つは切っても切れない相互関係があるのだということがよくわかる。

スピリチュアルの世界は確かに玉石混合で、決して一括りに語るわけにはいかないが、私の中では断捨離はものすごくスピリチュアルで、目に見えるものを通して目に見えない世界をしっかりと自分自身に落とし込む最強のツールである。

やました先生は、安易なスピリチュアリズムに警鐘を鳴らしていらっしゃるのだと私は思っている。

自分以外の人に、自分に関する目に見えない世界の情報を聞き、そこに依存してしまうことの危うさ脆さを戒め、自分自身が自分の人生に責任を持ち、自分に必要な情報は自分の中から得るということを、誰でもができる方法で教えて下さっているのだと思うのだ。


もちろん私は、目に見えない世界を否定するものではないし、自分自身も一度ではない不思議を体験してきている。目に見えない世界の情報も多々活用しているし、それを他の人から教えてもらったりすることもある。

そうして自分が何を求め何に向かって進んできたかと振り返るとき、全ては自分の中にずっと押し込めてきた「本当の自分」で、今この瞬間にきらめく命を慈しんで生きることを目指してきたのだとわかる。

断捨離もスピリチュアルも、行き着くところは同じなのだと、いや同じでなければならないのだとしみじみ思うのだ。


断捨離講座で、やました先生に質問させていただいた事がある。

断捨離を徹底的に進めていくことで集合無意識層にまで辿り着き、そこと繋がるということは宇宙の真理・エネルギーと繋がることだということを教わり、感動したからだ。

「先生は片付けというツールで深く掘り進まれましたが、それは何であってもよかったのですか?先生は、万人が取り組みやすいように片付けを選ばれたのでしょうか?」と。

やました先生はにっこり笑って、「もちろんです。それがどんなものであっても、深く掘り進むと同じところに辿り着きます。」とお答えになった。


私の中で全てが繋がった瞬間だった。


断捨離が有名になるにつれて、表面的な理解で断捨離が語られ、時には批判されるのが少し悲しい。

ダンシャリアンのはしくれとして、1人でも多くの方に断捨離の素晴らしさを知ってもらえたら嬉しいなと思うのだ。



お世話になっているmomoさんが主催する金沢での断捨離講座開催のお知らせです♪

断捨離講座in金沢のご案内




本文とは関係ありませんが、夏の旅行での写真を一枚
夕暮れ時の厳島神社の鳥居です♪

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